なぜ、アナウンサーだったのか?

福岡市長・高島宗一郎氏高島宗一郎(たかしま・そういちろう)1974年大分県生まれ。大学卒業後はアナウンサーとして朝の情報番組などを担当。2010年に退社後、36歳で福岡市長選挙に出馬し当選。2014年と2018年いずれも、史上最多得票を更新し再選(2018年11月現在)。熊本地震の際には積極的な支援活動とSNSによる情報発信などが多方面から評価され、博多駅前道路陥没事故では1週間での復旧が国内外から注目された。『福岡市を経営する』が初の著書となる。

「選挙に強い政治家」ということで大学卒業後に目指した職業は「アナウンサー」でした。

 アナウンサーは取材の過程でさまざまな社会の現場に足を運び、いろいろな立場の方から直接話をうかがうことができます。毎日が社会勉強です。

 また、硬軟織り交ぜて情報を自ら伝えられるという点で大変やりがいのある仕事です。くわえて記者とは違い、自身の知名度も大きく上げることができます。

 情熱を持って仕事ができて、社会に関する知識も増やすことができ、同時に顔を覚えてもらえる。「ジバン、カンバン、カバン」がない私にとって、将来の選挙に勝てるキャリアを構築するうえでも、アナウンサーこそがもっともふさわしいと考えたのです。

 もちろん、私の父が大分でアナウンサーをしていたということも、私にとってこの職業を身近に感じることができた理由であったと思います。

  チャンスはいつ巡ってくるかわかりません。ですから、アナウンサーになってからも「今日が最後の放送日」となっても後悔がないようにという意識で仕事に取り組んでいました。

 いずれ選挙に出ることは決めていたので、2009年には九州大学の大学院に入学し、朝の番組の放送後、午後からは大学で政治学を学び直していました。選挙のために体力もつけておこうと思い、大学院の後はスポーツジムにも通っていました。今ではもう無理ですが、当時は毎朝2時半に起きて、夜12時に寝る生活でした。

  そしてチャンスは突然やってきました。福岡市長への出馬要請がきたのです。