先週の続き。ハーズバーグの「二要因理論」にみる論理の面白さの話だ。

 人間の仕事における満足度は、ある特定の要因が満たされると満足度が上がり、不足すると満足度が下がるということではない。これがハーズバーグの主張の核にある。つまり「満足」に関わる要因と「不満足」に関わる要因は別モノという考え方だ。

 人間が仕事に不満を感じる時は、問題はその仕事を取り巻く外部環境にある。たとえば、「給与」「対人関係」「作業条件」などだ。これらが不足すると職務不満足を引き起こす。満たしたからといっても満足感につながるわけではない。単に不満足を予防する意味しか持たない。

 一方で、人間が仕事に満足を感じる時、その人の関心は仕事そのものに向いている。「達成すること」「承認されること」「仕事そのもの」などだ。これらが満たされると満足感を覚えるが、欠けていても職務不満足を引き起こすわけではない。

「満足の反対は不満ではない」という論理

 ようするに、満足と不満足は一つの物差しの両極ではない。それぞれが独立の次元なのだ。ハーズバーグの考え方からすれば、満足の反対は不満足ではなく、「没満足」(満足がないという状態)ということになる。不満足の反対は「没不満足」(不満足がないという状態)だ。これが面白い。ヒジョーに仕事に満足していながら、同時にヒジョーに不満足であるということがあり得るということだ(たとえば、達成感のある仕事だが、安月給というケース)。

 先週も話したように、「上場後のフェイスブックの収益モデル」を知ったからといって、知識の量が増えるだけだ。背後にある論理をつかまなければ、それ自体は上質な知識とは言えない。フェイスブックの話であれば、それだけで多くの人がソソられる。しかし、その種の「天然モノの面白い話」は、旬を過ぎればきれいさっぱり忘れてしまう(しばらく前に「AOLの革命的な収益モデル」が注目を集めたが、いまこれをすらすらと説明できる「知識」の持ち主はよほどのマニアに限定される)。

 主体的・自発的に勉強を続けるためには、とにもかくにも論理(化)の面白さを経験で知ることが大切だ。見たり聞いたり読んだりするときに、いつもその背後にある論理を少しだけでも考えてみる。確かにわりと時間がかかる。しかし、そのうちに論理の面白さを感じるようになる。論理の面白さにいくつかのパターンがあることが見えてくる。すると、自分が面白がるツボも自覚できる。

 こうなればしめたものだ。面白い論理との出会いを求めて勉強が進むようになる。「これ、面白そうだな」と自分の感覚に引っかかった映画を観るように、勉強と向き合える。もちろん全部が全部面白い論理を提供してくれるわけではない。映画と同じで「ハズレ」もある。しかし、だからといって一度論理の面白ささえわかってしまえば、勉強がイヤになることはない。習慣として持続する。