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めちゃくちゃわかるよ経済学 シュンペーターの冒険編

フローレンス行進曲のナゾ(1)

坪井賢一 [ダイヤモンド社論説委員]
【第4回】 2007年11月21日
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 シュンペーター(1883-1950)とほぼ同時代に活躍したボヘミア(現チェコ)出身の作曲家にユリウス・フチーク(Julius Arnošt Vilém Fučík 1872-1916)という人物がいる。44歳で急死したため後半生は重なっていないが、シュンペーターより11歳年上のチェコ人だ。

 もう一度、中欧のドイツ人について説明しておくと、中世以来、ドイツ人の東方殖民が進み、数百年を経て中欧各地に定住していった。ドイツ人であるシュンペーター家もそのようなファミリーである。シュンペーター家はモラヴィア(現チェコ)の小さな町、チェスチュに商工業者として16世紀から定住し、我らがシュンペーターは1883年に生まれている。

 1870年代から80年代の現チェコはハプスブルク帝国の一部である。人口の約4分の1をドイツ人が占めていたが、都市部に集中していた。

 1848年革命で民族主義の嵐が全欧州で巻き起こると、中欧のプラハやウィーンでも暴動が起きている。ハプスブルク皇帝は力で抑え込んだのだが、1866年のプロイセン・オーストリア戦争(普墺戦争)でオーストリアが敗れると、ドイツ圏内におけるハプスブルク家の威令はますます衰え、1867年にオーストリア帝国とハンガリー王国の連邦制となった。つまり同じ皇帝と王を仰ぐが、政府は二つあるという二重帝国となったのである。当然、オーストリアのドイツ人に支配されているボヘミアやモラヴィアのチェコ人の民族主義も燃え上がることになる。

 回を追って、神聖ローマ帝国のナゾやハプスブルク帝国の変遷など詳しく述べたいが、ここではシュンペーターが誕生したころの現チェコの様子を見ておきたい。オーストリア-ハンガリー二重帝国(最末期ハプスブルク帝国)は最終的に第1次世界大戦で崩壊するわけだが、二重帝国時代の地図はここにある。(次ページURL参照)

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坪井賢一 [ダイヤモンド社論説委員]

1954年生まれ。78年早稲田大学政治経済学部卒業後、ダイヤモンド社入社。「週刊ダイヤモンド」編集長などを経て現職。著書に『複雑系の選択』『めちゃくちゃわかるよ!経済学』(ダイヤモンド社)『浦安図書館を支える人びと』(日本図書館協会)など。


めちゃくちゃわかるよ経済学 シュンペーターの冒険編

「経済成長の起動力は企業家によるイノベーションにある」とする独創的な理論を構築したシュンペーターの発想の冒険行を、100年前のウィーンから辿る知の旅行記。

「めちゃくちゃわかるよ経済学 シュンペーターの冒険編」

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