現場の作業員が教えてくれた
マネジメントの「真理」

 私は、その後数ヵ月間、事故が起きやしないかとヒヤヒヤしながら過ごしましたが、「体操」の効果ははっきりと現れるようになりました。

 もちろん、24時間操業になじんできた作業員たちが、生活のリズムを立て直してくれたこともあったと思いますが、それを考慮しても、明らかに事故は激減。それどころか、生産効率の向上までもが観察されるようになっていったのです。

 これを、工場長はおおいに評価してくれました。しかも、これは総務・労務部の発案ですから、タイ人部長の手柄にもなりました。これで気をよくした彼は、私のことも多少は認めてくれるようになりました。

 そこで、私は、胸にしまっていた、もうひとつの提案をタイ人部長にしてみることにしました。実は、事故の原因分析をするなかで、注目すべき従業員の声がありました。「工場入り口に祀ってある『サーンチャオ=守り神』が、この工場では粗雑に扱われている。だから事故が起きているんだ」と言うのです。

 なるほど……と思いました。

 タイは敬虔な仏教国です。家の入り口、事務所、工場、ホテル、街中のいたるところに「サーンチャオ」をお祀りしていて、みんなが大切にしています。観察すると、タイ人従業員は、出退勤時に工場入り口の「サーンチャオ」に必ず「ワイ=両手を合わせて拝む」をすることを習慣にしていたのです。

 ところが、従業員がそれほど大切にしているものを、われわれ日本人はそれほど大切にしてきませんでした。これはいけない。彼らと同じ気持ちにならなければ、職場の一体感は生まれない。そう思った私は、毎朝、工場長をはじめ幹部社員全員で、「サーンチャオ」に「ワイ」をして安全祈願をしてはどうかと、タイ人部長に提案したのです。

「現場」と真摯に向き合うことが、
正しくモノを考える出発点である

 これには、タイ人である彼もおおいに納得してくれました。そして、彼から工場長に提案。賛同した工場長は、すぐさま実行に移してくれました。

 これが、大きなインパクトを生み出しました。毎朝、幹部社員が安全祈願する姿を見たタイ人従業員たちは、工場長以下全員が真剣に職場の安全を守ろうとしていると納得したのです。

 当初から、私たち日本人は、タイ人従業員との関係構築を重視してはいましたが、どこかよそよそしい空気が残っていました。その空気が、「ワイ」によって一掃されたのです。そして、経営と現場の関係が打ち解け、心理的な距離が近くなったことで、職場が活性化していったのです。

 人々が大切にしている「信仰心」に敬意を示すことには、絶大なパワーがあったのです。経営書を読んでも、こんなことはなかなか書いてありませんが、現場の声に真摯に耳を傾ければ、この「真理」に出会うことはできるのです。

 これをきっかけに、工場長とタイ人部長の関係も徐々に改善していきましたし、タイ人部長も私を「バカ」にすることはなくなりました。こうして、私は、自分にとっても、それなりに居心地のよい職場にすることができたわけです。

 このような経験を、私はたくさんしてきました。

 もしも、現場で起きていることを踏まえずに、タイ人部長の「ルールを厳しくすれば、事故は減る」という理論を、「上司の指示だから」ということで押し付けていたら、どうなったでしょうか? 事故は減らないばかりか、過重なルールに不満を募らせた従業員たちはモチベーションを下げたかもしれません。そうなれば、なおさら重大事故の危険性は高まったに違いありません。実に、恐ろしいことです。

 だから、それ以降も、私は「理論家」を参謀とみなすことはありませんでした。

 すべての「答え」は、「現場」に落ちているのです。「現場」で起きていることを丁寧に観察して、「現場」のメンバーの声に耳を傾ければ、必ず「解決策」「改善策」は見えてきます。「現場」と真摯に向き合うことが、正しくモノを考える出発点なのです。その姿勢を徹底する人こそ、頼れる参謀に成長していくのです。