新大陸の銀とヨーロッパ経済の急成長

 時は十六世紀半ば、当時イタリアと争っていたスペインは、戦争と豪奢な宮廷生活により、王室財政は破壊的状況に陥っていた。その膨れあがる財政支出を支えたのがポトシ銀山であった。

 一五四六年以降に相次いでメキシコの銀山が発見された。諸説あるが、一五〇三年から一六六〇年までに約一万五〇〇〇トンにものぼる桁違いの銀が、新大陸からスペインに流れ込んだ。それまでの六~七倍の銀が流れ込んだため、ヨーロッパの銀価は下落し、十六世紀から十七世紀前半にかけて、物価は三~四倍に高騰した。いわゆる「価格革命」が起こり、これまで経験したことがない大インフレに見舞われた。スペインの賃金はヨーロッパでもっとも高くなり、毛織物などの製品は国際市場での競争力を失ってしまった。

 価格革命は、商工業の発展を大いに刺激するとともに、金額の固定した地代収入に依存していた封建貴族層の経済力を相対的に低減させ、農民の地位の向上(農奴解放)をもたらすなどヨーロッパの政治・経済に大きな影響を与えた。

 スペインへ運ばれる銀は十六世紀後半から増え続け、十六世紀末にはピークに達した。十六世紀後半にスペインがアカプルコ(メキシコ)とマニラ(フィリピン)のあいだを大型帆船ガレオンで毎年結ぶ「マニラ・ガレオン貿易」が開始すると、新大陸の安価な銀の三分の一は東アジアに持ち込まれた。中国の絹・陶磁器などがスペインの安価な銀と交換された。それらの商品は太平洋を横断し、さらにはカリブ海経由で大西洋を渡りヨーロッパにもたらされた。マニラ・ガレオン貿易は、一五六五年から一八一五年まで、二百五十年間も続いた。

 ポトシ銀山の銀産出量は、その後は減少の一途をたどり、十七世紀半ばには激減、十九世紀にはほぼ枯渇したが、十九世紀末にスズが大量に採掘されるようになると、鉱山の活気も復活した。現在ではスズもほぼ枯渇しており、小規模な採掘が続けられているのみである。

 私は、南米旅行の際にポトシ鉱山を訪れたことがある。ざるの上に、山盛りのコカの葉を抱えた葉売人に出会った。銀山ではたらくインディオは昼食を取らずにはたらき続けるが、入坑するときに頬一杯にコカの葉を詰め込んで、そのエキスを飲むことで空腹感を忘れ、疲労感や眠気をなくし、長時間はたらき続けたという。

 ヘルメットなどをつけて坑道をしばらく歩いた。ポトシ観光の目玉だ。しかし、観光客に開放されている坑道からは、当時の悲惨な労働はイメージできなかった。ポトシ銀山は、一九八七年に世界遺産に登録された。奴隷制度の象徴として、負の世界遺産にも数えられている。

左巻健男(さまき・たけお)

東京大学非常勤講師
元法政大学生命科学部環境応用化学科教授
『理科の探検(RikaTan)』編集長。専門は理科教育、科学コミュニケーション。一九四九年生まれ。千葉大学教育学部理科専攻(物理化学研究室)を卒業後、東京学芸大学大学院教育学研究科理科教育専攻(物理化学講座)を修了。中学校理科教科書(新しい科学)編集委員・執筆者。大学で教鞭を執りつつ、精力的に理科教室や講演会の講師を務める。おもな著書に、『面白くて眠れなくなる化学』(PHP)、『よくわかる元素図鑑』(田中陵二氏との共著、PHP)、『新しい高校化学の教科書』(講談社ブルーバックス)などがある。