「こだまでしょうか、いいえ、誰でも」金子みすゞの詩が教える、東日本大震災から10年写真:正木伸城

新型コロナウイルスの感染拡大が猛威を振るい始めて約2年がたつ。手洗いやアルコール消毒、ソーシャルディスタンスはすっかり日常となった。人は所作(この場合は感染対策)を日常化し、「慣れ」によって新しい生活スタイルに適合していく。2021年は「東日本大震災から10年」という節目だったのにもかかわらず、コロナ禍の日常に埋没するかのように過ぎ去ってしまった。復興の現状は、道半ばである。本稿では、震災当時ブームになった詩人・金子みすゞの詩に触れることで、「忘れてはいけない」震災を想起したい。(ライター 正木伸城)

東日本大震災から10年
風化させてはいけない記憶

 2011年3月11日、東日本大震災が起きた。黒々とした大津波が町村を襲った。そのあとに、今度は大自粛ムードの波が日本中を席巻した。メディアのスポンサーは、軒並み降板。そんな中、テレビで流れ続けたのが公共広告ACジャパンのCMである。ある詩が、幾度も幾度もテレビ画面で読まれた(便宜上、現代語訳したものを全文掲載する)。

「遊ぼう」っていうと
「遊ぼう」っていう。

「馬鹿」っていうと
「馬鹿」っていう。

「もう遊ばない」っていうと
「遊ばない」っていう。

そうして、あとで
さみしくなって、

「ごめんね」っていうと
「ごめんね」っていう。

こだまでしょうか、
いいえ、誰でも。

 詩人・金子みすゞが晩年にしるした「こだまでしょうか(こだまでせうか)」という詩だ。もの寂しそうなナレーターの声に合わせて読まれたこの詩は、多くの人の心を癒やした。あるいは、この詩を見たり聞いたりすると、当時をフラッシュバック的に思い出す人もいるかもしれない。

 あれから、今年でちょうど10年。この間、どれほどの人が「あの日」に思いをはせただろうか。マスコミがあおる「危機の主人公」は、この10年で幾度も入れ替わった。いまはコロナ禍が「メーンキャスト」に鎮座している。震災は、人によっては忘れ去られたかのようである。

 一方で筆者はこう考える。マスコミが「震災10年」を大々的に取り上げようともそうでなくとも、人々は忘却の彼方に震災の記憶を追いやろうとしている。ほとんど無意識のうちに――。もちろん、そうでない人が数多くいるのも確かだが、10年という時の厚みは、それほど残酷であり、震災を風化させた。

 金子みすゞは1903(明治36)年に生まれ、 30(昭和5)年に自殺している。みすゞの詩は表現がやさしく、誰にでもわかると評価されてきた。実際、彼女の詩集を開くと、意味をくみ取るのが比較的容易だ。しかし、詩に込められた悲哀と、いかんともしがたい人間の性(さが)に対する「もどかしさ」を、彼女の詩文から「ありあり」と感じ取ることは容易ではない。

 先述した「こだまでしょうか」の詩も、わかるようでいて、わからない。「こだまでしょうか、/いいえ、誰でも。」の意味を、震災当時、筆者はすくい取ることができなかった。