社会派ブロガー・ちきりんさんがダイヤモンド社から刊行する、「現代を生きぬくための根幹の力」を解説するシリーズは、累計40万部を超えるヒットになっています。
そのシリーズ1冊目である『自分のアタマで考えよう』の発売時に公開されたブログは、「考える」とはどういうことかをわかりやすく教えてくれるものであり、同時に「自分の意見」をつくる方法を教えてくれるものでした。シリーズ最新作『自分の意見で生きていこう』の発売を機に、ここでも全文を公開します。
※この記事は、2011年10月28日公開の「Chikirinの日記」を転載したものです。

「思考と分析」、その微妙かつ決定的な違い(「Chikirinの日記」より)Photo: Adobe Stock

今日は新刊『自分のアタマで考えよう』の発売日なので、それを記念して、「考える」とはどういうことか、具体的に書いてみます。

「考える」とよく混同されるのが「分析すること」です。

「分析=思考」だと勘違いしている人はたくさんいます。

膨大なデータと格闘し、徹夜で分析をして、後から「あー、よく考えた!」と思う人もいます。

確かに、思考の前段階にはしばしば分析が必要となります。でも、このふたつは違うことなんです。

次の例を見てください。

インプット=情報(データ)
・去年の市場規模 100億円
・今年の市場規模 180億円
アウトプット
分析の結果=「市場規模は、前年比8割増となった」
思考の結果=「市場規模は、前年比8割増と、急激な伸びとなった」

アウトプットの2つの文章。言葉としてはびみょーな違いですよね。

耳で聞いただけだと、違いに気がつかず、聞き逃してしまいそうです。

でも、この2つの文章は天と地ほど違います。

最初の文章は「分析の結果」について述べており、2番目の文章は、分析の結果から、自分で考えたコト、すなわち、「思考の結果」を述べているんです。

最初の文章、「市場規模は、前年比8割増となった」は、誰が前年比を計算しても同じ結論に至ります。

割り算を習ったばかりの小学生でも同じことが言えるでしょう。

ここでは100億円と180億円という超簡単な数字で例示していますが、これがもし徹夜が必要なくらい複雑で大量なデータの処理結果であっても同じです。

誰がやるかによって最終的な結果が異なることがあるって?

それは、最適な分析方法を知らなかったり、計算ミスをする人がいるというだけの話です。

もしくは「巧い方法で、より短い時間で分析が終わる」人もいるでしょう。

それらはすべて「分析の巧拙」の話であって、いずれにせよ「分析」の領域をでていません。思考とは違うんです。

また、分析結果をグラフ化することも、思考ではありません。

それは「分析結果のビジュアル表現」に過ぎず、そのグラフは誰が作っても同じになります。

「棒グラフを作る人もいれば折れ線グラフにする人もいるだろ」って?

だからそれも「グラフ化のスキルの問題」に過ぎないんだってば。

一方、2番目の文章である「市場規模は前年比8割増と、急激な伸びとなった」という文章は、誰でもこの結論に到達するわけではありません。

人によって言うことが変わりえるのです。

もしこれが急速な拡大を続ける中国やインドの市場で、大半のモノの売上が前年比300%~800%で伸びていたら、たとえ分析結果が同じでも、思考の結果は「市場規模は前年比8割増と、かなり低い伸びにとどまった」となるでしょ?

もしもこれが「既存の売れ筋商品の改良版の発売により、昨年比倍くらいはいくかなーと予想されていた商品の話」であれば、「前年比8割増とやや低めながら、ほぼ予想通りの結果となった」です。

でも既に頭打ちになってる市場で起こったなら「なんと前年比8割増しという大ヒットになった!」です。

このように、分析結果はまったく同じでも、売上を「500億円はいくだろう!」と予想(期待)していた人と、「せいぜい50億円くらいのはず」と予想していた人では、思考の結果は180度、違ってくるのです。

つまり2番目の言葉を口にするためには、分析結果にたいする自分の意見をもっている必要があるんです。

そして、この自分自身の意見こそが「思考」の結果なのです。

別の言い方をすれば、2番目の文章には、最初の文章には無い「価値判断」が含まれています。

価値判断が含まれているということは、発言者が「自分の基準」を持っていることを意味します。

「8割増加」という(誰がやっても同じになる)結果を、自分の基準に照らして「どう判断するのか?」という、個人の思考結果が言葉に反映されている。

ここがまさに人間でなければ言えない部分であり、また、人によって結論が異なってくるところです。

だからこの部分が言えなければ、「オレは考えた!」とは言えないんです。

もう一度、最初の2つの文章を見てください。

「市場規模は、前年比8割増となった」
「市場規模は、前年比8割増と、急激な伸びとなった」

本当にわずかな差です。

わずかではありますが、決定的な差です。

前者には「情報」しか含まれておらず、後者には「人間の考え」、「発言者の判断」が含まれています。

この微妙ではあるけれど決定的な意味の違いを理解し、常に2番目の言葉が口から出るまで考えていないと、単なる分析屋=「作業する人」になってしまいます。

また、誰かと話をしている時に相手の言葉を注意深く聞いていれば、最初の言葉でしか話さない人と、2番目の文章で話す人がいることに気づくでしょう。

その違いから、その人が本当に考えているのかどうか、浮かび上がります。

★★★

実は、このブログをずっと読んでいるという方は、既にこの2つの違いを理解されています。

なぜなら「ちきりんの日記がオモシロイ」といっていただける最大の理由は、私が常に、2番目の文章を書いているからです。

「高齢者が○%増えています」「日本市場はこれから縮小します」「若年層の失業率は○%です」ではなく、

「若者、アウトっ!」
 ↑
価値判断を含み、人によって意見の違う部分=思考の結果

「3000万円の住宅ローンの利子は○○万円です」「何らかの理由で、その地域に35年も住めない可能性だってあります」「会社員の収入は、過去○年、伸びるどころか減っています」だけではなく、

「10年以上のローンはダメです!」
 ↑
価値判断を含み、人によって意見の違う部分=思考の結果

このように、私のブログには、情報や知識、分析結果としてのグラフや情報のまとめだけではなく、「ちきりんの思考結果」が書かれており、読者はそれを見たくてこのブログを訪れるのでしょう。

誤解の無いように。

私が言いたいのは「ちきりんの考えが正しい! すごい! だから読者が多いのだ!」ではありません。

そうではなく、たとえどんなに稚拙な考えであっても、どんなにぶっとんだ考えであっても、(誰がやっても同じになる)単なる分析結果なんかより、人によって異なる「誰かの思考」の方が圧倒的におもしろいし、価値はまさにそこにあるのです。

「考える」という概念自体を理解するのは、思考力や問題解決力を習得するための第一歩です。

最初のふたつの文章を(解説なしで)見た時に違いがわからなかったら、思考のスタートラインに立てていません。

正しく考えるとか、巧く考えるの前に、まずは「考えるとはどういうことか?」を理解する必要があります。

というわけで、『自分のアタマで考えよう』は本日発売。

学生の方、新社会人の方、仕事や人生のために「考える」方法論を学びたい、すべての方のお役に立てる本になったと思います。(キンドル版も出ています!)

そんじゃーね。