環境問題、社会的な分断といった難問だらけで正解を見つけるのが難しい時代。「知識詰め込み型の教育の限界。これからの子どもたちにはもっと人間らしい教育を……」。そう感じる人は多いだろう。2人の世界的権威であるダニエル・ゴールマン(『EQ こころの知能指数』)、ピーター・センゲ(『学習する組織』)もそう考えて、長年教育分野に貢献することに情熱を注いできた。その2人による共著『21世紀の教育 子どもの社会的能力とEQを伸ばす3つの焦点』(ダイヤモンド社)の内容から、新時代の世界標準の教育のイメージをお伝えする。今回は、ダニエル・ゴールマンによるEQを基礎とする教育の効果について。(監訳:井上英之)

21世紀の教育Photo: Adobe Stock

調査が示すSEL(社会性と感情の学習)の科学的効果

 もう30年も前のことになるが、私は感情的知性(Emotional Intelligence:日本ではEQと呼ばれる)を伸ばすための先駆的な取り組みを行っている、ニューヘイブン(コネチカット州)の公立学校を訪問した。

 ニューヘイブンは、イェール大学がある一角を別にすれば、貧困が支配する街だ。10代の少女が未婚の母となり、その子もまた10代で未婚の母になる。少なくない人々がフードスタンプ〔食料費補助〕に頼って暮らし、成功モデルはドラッグの売人というような、生きていくのが容易ではない場所だ。

 市長は、市の状況を憂慮する100人ほどの市民タスクフォースに集まってもらい、こう語りかけた。

ダニエル・ゴールマンダニエル・ゴールマン(Daniel Goleman)
作家、心理学者、ジャーナリスト。
ハーバード大学大学院で心理学の博士号を取得。ハーバード大学で教鞭をとったのち、「サイコロジー・トゥデー」誌のシニア・エディターを9年間務める。1984年からは「ニューヨーク・タイムズ」紙に主に行動心理学について寄稿。1995年に発表した『Emotional Intelligence(邦題:EQ こころの知能指数)』は全世界500万部(日本でも80万部)を超える大ベストセラーを記録した。CASEL共同創設者。

「子どもたちは本当に苦しんでいます。私たちが、彼らのためにできることは何でしょうか?」

 その投げかけを受けて、イェール大学の心理学者ロジャー・ワイスバーグが開発したのが、この地域の学校に導入した「社会性発達(ソーシャル・デベロップメント)カリキュラム」だ。いまでは世界的なムーブメントとなっている「社会性と感情の学習、もしくはSEL」と呼ばれるプログラムの先駆けの一つである。

 今日、世界中の何千校もの学校がSELを導入し、何百種類ものプログラムが実施されている。最近、SELプログラムを導入した学校としていない、学校を比較した各種調査のメタ分析が行われ、27万人の生徒に関するデータが集められた。

 この大がかりな調査の結果、SELプログラムには顕著な効果があることが判明した。向社会的行動(クラスで適切に振る舞う、学校が好き、出席率が良好など)が10%向上し、反社会的行動(クラスで不適切に振る舞う、暴力、いじめなど)はどれも約10%低下した。

 何より興味深いことに、学力テストの点数も11%向上していた。それも、全般的に見て社会的行動や学力の点で問題を抱えていた学校ほど、はっきりと効果が出ていることがわかったのである。

 SELが生徒の行動に及ぼす影響と学業成績との関係に、関係者は大変驚いた。そのような相関が生まれたのは、SELによって子どもたちがより効果的な注意の向け方を身につけ、教師たちや教室にいることが好きになり、ケンカやいじめの心配が少なくなったからだと考えられる。こうした彼らの振る舞いを支える状況が改善し、学校の環境に安心感を覚えたら、生徒たちはより良く学べるということだ。

 学業の観点からもSELを学校に導入すべきだ、という重要な根拠となるだろう。

SELの効果的アプローチ、目指す中核的能力

 私の著書『Emotional Intelligence(邦題:EQ こころの知能指数)』の中で、当時としては新しかったW・T・グラント財団の研究結果をレビューした。その研究は、子どもたちが抱えている問題と、問題の解決を目指すさまざまな闘いの効果を分析したものだった。当時、子どもたちの問題に取り組むプログラムの多くは、まさに「闘い」と呼ばれていた。ドラッグ、暴力、貧困、いじめに対する闘い、高校生の中途退学(ドロップアウト)を減らすための闘いもあった。

 さまざまなプログラムを同財団が評価したところ、子どもたちがこれらの問題に対処するのを助けるはずが、その多くは効果を上げていないことが判明した。逆に、事態を悪化させているものさえあった。

 しかし、効果が出ているプログラムには、次のような共通要素があった。
・1回限りの授業ではなく、何年も継続している。
・生徒の理解力の成長に合わせながら、数学年にまたがってベースとなる授業を繰り返している。
・学校は安心できる居場所であり、コミュニティだということを強調している。
・家庭にも働きかけている。

 そしてどのプログラムも、共通する中核的能力を教えていた。それが以下の、5つの感情と社会性に関わる能力である。

●自分に気づく力(セルフ・アウェアネス)―自分は何を感じているか、なぜそう感じているかを理解する能力。
●セルフ・マネジメント―感じていることに適切に対処する能力。
●他者を理解する力(エンパシー)―他者が何を考え、何を感じているかを理解し、他者からの視点を把握する能力。
●ソーシャルスキル―上の3つを統合して、調和の取れた関係性を築く能力。
●より良い意思決定―上のすべての感情的知性に関するスキルセットを総動員して、人生におけるより良い意思決定をする能力。

 SELではこれら5つを、教えられるべき最も中心となる能力と考えている。

 SELのプログラムは世界的なムーブメントとして広がりつつあるものの、導入している学校はまだ限られている。それらの学校は、いわば苗床となって、この教育法を世界に普及させる役割を果たしている。SELが世界中の教室に新たな場所を増やし続け、子どもたちがトリプルフォーカス(自身、他者、外の世界)のスキルを身につければ、彼らの未来へより良い備えができる。それによって、次の世代の全人的な教育をつくることができればと願っている。