ダイエット、禁煙、節約、勉強──。何度も挑戦し、そのたびに挫折し、自分はなんて意志が弱いのだろうと自信をなくした経験はないだろうか?
目標を達成するには、「良い習慣」が不可欠だ。そして多くの人は、習慣を身につけるのに必要なのは「意志の力」だと勘違いしている。だが、科学で裏付けされた行動をすれば、習慣が最短で手に入り、やめたい悪習も断ち切ることができる。
その方法を説いた、アダム・グラント、ロバート・チャルディーニら一流の研究者が絶賛する1冊『やり抜く自分に変わる超習慣力 悪習を断ち切り、良い習慣を身につける科学的メソッド』(ウェンディ・ウッド著、花塚恵訳)より一部を公開する。

【習慣科学が教える】ダイエット成功者でも「リバウンド」する理由Photo: Adobe Stock

ダイエット後の体重を維持できる人の割合

「強固な目標と実行する意志の力があれば、行動は変わる」という神話は、長きにわたって世間で幅を利かせてきた。だからこそ、その神話を批判的な目で見ることには意味がある。体重を落とすと本気で決意して取り組めば、7~10キロは落とせると言われている。この数字は、肥満の人が6カ月の減量プログラムで落とすことが期待される体重だ。これだけ落ちるなら、ダイエットをする意味はある。

 しかしご承知のとおり、現実には続きがある。そういうプログラムを実践した人のほとんどは、結局のところダイエット前の食生活や運動習慣に戻ってしまう。よくある減量プログラムを実践して5年がたつと、5キロ痩せた状態ですら、維持できるのはたったの15パーセントにすぎない。大多数は、元の体重に戻るか、元の体重より増える。これでは何の意味もない。

「変わる」と「変わり続ける」の違い

 有料の減量プログラムを提供する企業は、そうしたデータを認識している。私は、ダイエット食品や減量プログラムを提供するウェイトウォッチャーズで会長とCEOを務めたデイヴィッド・キルヒホフにインタビューを行い、ダイエットに長期的に成功したプログラム参加者について話を聞いた。彼は率直に語ってくれた。「変わる努力をしても、変わり続けられない人がほとんどです。ウェイトウォッチャーズのプログラムをある程度続ければ、どんな人でも必ず減量に成功します。ただしそれは、プログラムの内容を実践した場合に限ります。実際には、ほとんどの人が実践しません。これがウェイトウォッチャーズの裏の面なのです」

 ウェイトウォッチャーズのようなプログラムを実践し続けるには、絶えず奮闘がつきまとう。「私はこういうことではないかと思っています」とキルヒホフは続けた。「いま体重を落とせない人は、この先もずっと落とせないでしょう。食べすぎる、食べ方に独特のこだわりがある、代謝の関係で食事を思うようにコントロールできない、といったことには常習性があり、絶えずつきまといます。肥満を治す薬はありません。ですから、一定期間が過ぎれば、禁を破るときが必ず訪れます。そうすると、再び軌道修正しなければならない。ウェイトウォッチャーズのプログラムに参加したら体重が減り、そのまま維持できておしまい、というわけにはいかないのです」

 それは実につらい経験だ。キルヒホフもこう述べている。「ウェイトウォッチャーズの利用者の会を通じて、苦労や苦しみを抱えている人を大勢見ました。50キロ痩せた人も何人も見ました。でもその後、彼らは元の体重に戻ります。彼らにとって、それは大きなショックとなります。自分が情けなく、何をやってもダメな気分になる。彼らの自信は粉々に砕け散ります」

 体重のコントロールは、例として非常に使い勝手がいい。それはひとえに、簡単に定量化でき、広範囲にわたって研究されているからにほかならない。だが、いずれ元に戻りかねないというダイエットの構図は、子どもと過ごす時間を増やしたい、貯金したい、仕事に専念したいといったことにも当てはまる。

意志力だけでダイエットする人の末路

「強固な目標と意志の力があれば自分を変えられる」という理屈は、後退する可能性をあまりにも軽視しすぎている。私のいとこを例に、新たな習慣を形成せず、決断力だけでダイエットを続けたらどうなるか、具体的に見ていこう。

 彼女は過酷な環境で決断を下すことになる。なぜなら、ティーンの子どもたちがいるので、大量のジャンクフードを定期的に買っているのだ。そのため、キッチンにはクラッカーやポテトチップス、クッキー、炭酸飲料、アイスクリームが常備されている。カウンターの上や戸棚のなかは食べ物であふれ、冷蔵庫と冷凍庫はつねにいっぱい。このような環境にあっては、いつも何かをつまんでいる子どもたちに混じって、テレビを観ているときや電話で話しているとき、家族と楽しい時間を過ごしているときに、彼女も何か食べてしまう。彼女はショッピングモールが大好きで、行くと必ずファストフードを食べながらひと休みする。こうして見ると、彼女の生活は食べることを中心にまわっているようだ。