どこまで行っても相対的な「偏差値」の本質

「偏差値」は、模擬試験での成績分布によって算出される。多くの受験生の情報を得るためには、高校を会場に模試を実施、拠点に頼らずに受験生の情報を得ることが必須となった。代ゼミはここで脱落していく。福武書店改めベネッセが代わりに浮上、駿台予備学校と組むことになる。河合塾とベネッセ+駿台の二者により、「偏差値」(模試による大学入試難易度ランキング、合格可能性判定)が示されていくことになった。

 模試は、「偏差値」による合格可能性判定がキモとなる。その正確さは模試の受験者数で裏付けられた。受験生が増えるほどデータが厚くなり、信頼度を増す。いま流行りのAI(人工知能)などにおけるデータバンクと同じである。

 河合塾を例に取れば、前年度合格実績を加味して春に示される「実態ランク」とその後の模試の結果を加味した「予想ランク」があり、この二つのランクで各大学学部学科の「偏差値」(予想ランク)が示される。

 こうした「偏差値」が、共通一次とセンター試験の時代の大学入試の背景を形づくっていた。模試での志望者数が少なすぎて判定不能(ボーダーフリー)となる学部学科が増加するなど、「偏差値」の機能には変容が見られるようになっていく。

「偏差値」とはそもそも、平均点を起点(偏差値50)としたばらつき具合を示すもの。偏差値75以上や偏差値25以下は外れ値であるが、ばらつき具合なので、100を超えることもある。そして、「偏差値」や平均点は、母集団の構成や問題の難易によって大きく左右される「相対値」なのである。

「偏差値を上げろ」と生徒を叱咤激励するような高校教員に遭遇すると、「偏差値」というものを実のところを知らないのだろうと、いつも鼻白んで見ている。母集団全体の学力が低下すれば、相対値ゆえに、何の努力をしなくても「偏差値」は、上がるものだ。競争とは、どこまで行っても相対的なものである。このことを分からずに生徒を叱咤(しった)激励しても、実態を肌身で感じている生徒はしらけるだけだ。上げるべきは「絶対値」である理解度の方なのである。

 受験人口が減りつつも、大学全体の入学定員が増えている昨今では、相対値である「偏差値」は、以前よりも上げやすいことを生徒は知っている。“偏差値競争”には、「正」の競争と「負」の競争が成立する。向上心があり、意欲的に1点でも高く得点しようとする「正」の競争ばかりではなく、「赤信号、みんなで渡れば怖くない」といった感じで、意欲がないまま皆で何もしないという「負」の競争も成立可能なのだ。

 2月以降の一般選抜入試を回避して、「年内入試」に高校生がなだれ込む昨今の入試状況を見ると、「負」の競争になりかねないと危惧する。こうした状況下で、「負」の競争をすれば、生徒は頑張る必要がなくなるからである。