1999年、若きイーロン・マスクと天才ピーター・ティールが、とある建物で偶然隣り同士に入居し、1つの「奇跡的な会社」をつくったことを知っているだろうか? 最初はわずか数人から始まったその会社ペイパルで出会った者たちはやがて、スペースXやテスラのみならず、YouTube、リンクトインを創業するなど、シリコンバレーを席巻していく。なぜそんなことが可能になったのか。
その驚くべき物語が書かれた全米ベストセラー『創始者たち──イーロン・マスク、ピーター・ティールと世界一のリスクテイカーたちの薄氷の伝説』(ジミー・ソニ著、櫻井祐子訳、ダイヤモンド社)がついに日本上陸。東浩紀氏が「自由とビジネスが両立した稀有な輝きが、ここにある」と評するなど注目の本書より、訳者あとがきを特別に公開する。

【前代未聞】イーロン・マスクがピーター・ティールと作った「異常な会社」とは?Photo: Adobe Stock

なぜツイッターを買収したのか?

 イーロン・マスクは2022年10月にツイッターを買収する少し前、「なぜ買収するのか?」と聞かれて、こんなツイートをした。

ツイッターはX.comの当初のビジョンの実現を加速させる

 どうやら彼はツイッターに決済やネットショッピング、配車サービス等々の機能を導入し、何でもできる「スーパーアプリ」にすることをめざしているようだ。

 X.com(Xドットコム)とは、マスクが1999年に設立した、「すべての金融サービスをまとめて提供する」ことを謳ったオンライン銀行である。この会社と、同時期にピーター・ティールとマックス・レヴチンの二人が立ち上げた決済会社のコンフィニティが合併して、ペイパルが生まれた。

 ペイパルはいまやマスターカードとビザと並び、(頭文字から)「決済業界のMVP」と称される巨大企業である。またペイパルの初期メンバーは、その後さまざまな世界で成功し、その異次元的な活躍から「ペイパルマフィア」の異名を取る。

 だが草創期のペイパルは、いまの姿からは想像もつかない、破綻寸前のスタートアップだった。本書はそのころのペイパル──98年末の創業からさまざまな波乱を経て、10億ドルのIPOを果たし、イーベイによって15億ドルで買収・子会社化される2002年まで──のわずか4年間の足跡を追ったドキュメンタリーである。

 著者ジミー・ソニは、二十数年前の物語をあえていま書く理由について、「単純に、当時のペイパルと創業者たちのことを知りたかったから」と言う。創業者たちの成功後に書かれた自伝や評伝はたくさんある。だが、彼らがまだ海のものとも山のものともつかない、自分探しの途上にあった時期、彼らの原点となる経験が培われたこの重要な時期について書かれた本は、(元社員の回想録を除けば)不思議と一冊もなかった。

 そんなわけで、創業メンバーをはじめ、多くの社員や関係者の全面協力を得て──本書に描かれたペイパルの激動の年月より長い──5年かけて本書は書かれた。ほぼ四半世紀を経たとは思えないほど克明で、生々しく、今日的な示し唆さに富んだこの本は、懐疑主義者のピーター・ティールをして、Terrific book!(スゴ本)と言わしめた。

 そしてそれは、天才が成功するという予定調和の展開とはほど遠い、とんでもない物語だった!

唖然然とするような「ジェットコースター的展開」

 本書の読みどころは、何といっても波乱万丈、紆余曲折のジェットコースター的展開だ。

 マスクのつくったX.comと、ティール、レヴチンが共同創業したコンフィニティは一時期、数奇にもシリコンバレーで隣人になる。ベンチャーキャピタル(VC)の聖地サンドヒルロードに程近いユニバーシティ・アベニューの394番地で、同じ建物の隣り合うオフィスに入居するのだ。

 当時コンフィニティは電子財布の提供、X.comはあらゆる金融サービスを統合するハブを目指していたが、どちらのアイデアも時代の先を行きすぎていた。そこで生き残りを賭けて両方の会社が行き着いた先が、電子メールによる送金だった。

 このプロダクトにうってつけの市場は、意外にもオンラインオークションの草分け、イーベイに見つかった。イーベイに出品する家族経営の零細業者や一般の個人が、支払いを受け取る手段を切実に求めていた。彼らが熱狂的に受け入れたのがこのサービスだったのだ。

 そこからX.comとコンフィニティの運命が交差し、両社は世紀の死闘を繰り広げる。そして苦渋の合併を経たあとも、高い現金燃焼率、二度の社内クーデター、ロシアマフィアによる組織的詐欺、規制問題、クレジットカード会社との敵対、イーベイとの激闘など、次から次へと問題が降りかかる。さらにそれでも足りないとばかりにITバブルの崩壊や、9.11同時多発テロといった苦難が襲う──。

 ペイパル出身者の一人であるデイヴィッド・サックス(ペイパル後にハリウッドにも進出し、ゴールデングローブ賞ノミネートを果たした)らが本書の映像化権を獲得し、テレビシリーズ化に向けて動き出しているのもうなずける。

史上まれな「異端的天才集団」の物語

 本書はそのオールスターキャストぶりにも驚かされる。

 南アフリカから移住し、インターネットの可能性を引き出す大きなことがしたいと渇望していた27歳のマスク。法曹の世界を飛び出し、ヘッジファンドを立ち上げたばかりの31歳のティール。旧ソ連で英才教育を受けるもユダヤ人として排斥され、アメリカに移住してきた天才コーダー、23歳のマックス・レヴチン

 人材獲得競争が熾烈をきわめていた当時、実績ゼロのスタートアップが経験者を雇うのは難しかった。彼らは才能を見込んだ友人や、そのまた友人たちを誘うしかなかった。一人ひとりの採用が、会社の成否がかかった賭けだった。

 たとえば外交家で交渉に長けたリード・ホフマンがいた。それからプロダクトに関してスティーヴ・ジョブズ張りの鋭い嗅覚を持つデイヴィッド・サックス。独創的なアイデアマンのルーク・ノセック。南アフリカ出身の辣らつ腕わんアクチュアリーのロエロフ・ボサ……。

 こうして集まった個性豊かな若き俊英たちが、同じ屋根の下で、ときに激しくぶつかり合いながら、さまざまな問題に「正解」を出していく過程は、実に痛快でエモーショナルだ。ペイパルの成功は一人の天才の功績ではなく、集団の生産的な切磋琢磨から生まれたのである。

 実際、いまではスタートアップ界の定番となった戦略や手法には、この時期のペイパルでいち早く導入されたものが多い。

 迅速な方向転換(ピボット)、アジャイル開発、現金ボーナス、埋め込み可能なウィジェット、プロダクト・マーケット・フィット、フリーミアムモデルによる黒字化達成……これらは彼らが厳しい競争環境に対応するために、手探りで編み出した方法だった。

「激闘の4年」が生んだ途方もない影響

 競合が次々と死に絶えていく厳しい競争環境のなか、ペイパルは生き延びたばかりか、親会社となったイーベイをしのぐ成長を続け、2015年には分社化、再上場を果たした。コロナ禍でのネットショッピング急増の波にも乗って、時価総額は一時期3000億ドルを超えた。

 ペイパル出身者たちはその後、数々のスタートアップやユニコーンを創業し、大きな成功に導いている。ベンチャーキャピタリストとしても起業環境を整え、投資、助言を通して数百社のスタートアップの創出、育成に手を貸している

 ティールとサックスを筆頭に、アメリカの政界に絶大な影響力を持つメンバーもいる。

 彼らがつくり、育てた企業の錚々たる名前を見ると、ペイパルのこの濃密な苦闘の歴史がなければ、いまの世界は異なるかたちになっていたのではないかとすら思えてくる。

 以下は、ペイパル出身者と、彼らが関わった企業や投資先の一例である。

 イーロン・マスク(スペースX創業、テスラ、ツイッターCEO)、ピーター・ティール(パランティアテクノロジーズ創業)、マックス・レヴチン(スライド、アファーム創業)、リード・ホフマン(リンクトイン創業)、ジョード・カリム、チャド・ハーリー、スティーヴ・チェン(ユーチューブ創業)、デイヴィッド・サックス(ヤマー創業)、ジェレミー・ストップルマン、ラッセル・シモンズ(イェルプ創業)、プレマル・シャー(キヴァ創業)……。

 また、ティールは創業直後のフェイスブックに投資したことでも知られるが、他にもペイパル出身者は、エアビーアンドビー、ウーバー、リフト、ピンタレスト、エバーノート、スクエア、そしてオープンAIといったシリコンバレーの名だたる企業を投資家として支えている。ロエロフ・ボサはいまやセコイアキャピタルのパートナーである。

 なぜペイパルはこれほどまでの成功を続けることができたのか? なぜペイパルから起業家が次々と巣立っていったのか? その答えを、ぜひ本書から探していただきたい。ツイッターの今後をはじめ、シリコンバレーやテックシーンの未来を占う洞察が満載である。

(本原稿は、ジミー・ソニ著『創始者たち──イーロン・マスク、ピーター・ティールと世界一のリスクテイカーたちの薄氷の伝説』訳者あとがきからの抜粋です)