直木賞作家・今村翔吾初のビジネス書『教養としての歴史小説』(ダイヤモンド社)では、教養という視点から歴史小説について語っている。小学5年生で歴史小説と出会い、ひたすら歴史小説を読み込む青春時代を送ってきた著者は、20代までダンス・インストラクターとして活動。30歳のときに一念発起して、埋蔵文化財の発掘調査員をしながら歴史小説家を目指したという異色の作家が、“歴史小説マニア”の視点から、歴史小説という文芸ジャンルについて掘り下げるだけでなく、小説から得られる教養の中身おすすめの作品まで、さまざまな角度から縦横無尽に語り尽くす。
※本稿は、『教養としての歴史小説』(ダイヤモンド社)より一部を抜粋・編集したものです。

【直木賞作家が教える】<br />知っておくと差がつく大人の教養…歴史小説の黄金世代Photo: Adobe Stock

吉川英治という存在

歴史小説という文芸ジャンルを最初に盛り上げた人物といえば、なんといっても吉川英治でしょう。吉川英治は『宮本武蔵』『新・平家物語』などの作品で知られています。

『宮本武蔵』は、漫画『バガボンド』(井上雄彦)の原作小説でもあります。吉川英治の名前を聞いてピンとこなくても、『バガボンド』の原作者名を目にした人は少なくないはずです。

現代において、宮本武蔵を描く作品は吉川版『宮本武蔵』が、三国志を描く作品は吉川版『三国志』がベンチマークになっています。

ゲームにも影響を与える

もっというと、『三國無双』などのゲームも、原典に遡れば吉川英治に行き着くはずです。

たとえば、「徐晃(じょこう)」というキャラクターが極端に大きな斧おのを持って登場するのは、吉川作品の記述に基づいています。

そう考えると、彼の存在は今なお生きていて、大きな影響を与え続けています。

奇跡の黄金世代

次に歴史小説の人気を一気に押し上げたのは、「一平二太郞(藤沢周平・司馬遼太郎・池波正太郎)」です。

池波正太郎と司馬遼太郎は同じ1923年生まれで、藤沢周平は1927年生まれの同世代。

まさに奇跡の黄金世代であり、この世代からは山田風太郎など、他にも錚々たるスター作家が誕生しています。

まるで黄金期の
レアルマドリード

サッカーにたとえれば、黄金期のレアルマドリードのようなもの。この時代に私が存在したなら、さしずめ控えのゴールキーパーのようなポジションに甘んじていたかもしれません。

なぜ、あの時期に続々とスター作家が登場し、歴史小説がブームとなったのでしょうか。もちろん、個々の書き手に実力があったのは間違いありません。

ただ、敗戦を経験した日本人が、アイデンティティをとり戻すための物語を渇望していたのかもしれない。そんなふうにも思います。

時代が求めた歴史小説家

当時の日本人にはアイデンティティを失ったという自覚があり、それをもう一度構築するために歴史小説に答えを求めた。その要望に応える形でいろいろな書き手が誕生していった。

つまり、彼らは大衆が作った流行作家だったともいえるのです。

その後、スター作家が次々と他界し、スター作家たちを支えた読者が高齢化により減っていくにつれ、歴史小説ブームは下火になっていきました。

平成の「ネオ時代小説」

平成期になり、よりエンターテインメント性が高い「ネオ時代小説」というムーブメントが起こりましたが、結局は定着しきらずに終わっています。

大衆が望んだブームではなく、出版社側が仕かけた側面もあるがゆえに、大衆は動かなかったということなのでしょう。

※本稿は、『教養としての歴史小説』(ダイヤモンド社)より一部を抜粋・編集したものです。