菅義偉が明かす、沖縄基地問題で「心を強く動かされた」、仲井眞知事の言葉とは?ルース駐日米大使(左から3人目)と握手を交わす安倍晋三総理。右から小野寺五典防衛大臣、岸田文雄外務大臣、筆者 Photo:SANKEI

沖縄県の基地負担軽減は、安倍政権でも最重要課題の一つだった。関係者の利害が複雑に絡まり、計画の頓挫を繰り返した沖縄の基地問題解決に向けた取り組みについて、全3回にわたってお届けする(肩書はいずれも当時のもの)。(第99代内閣総理大臣/衆議院議員 菅 義偉)

「政治の師」から
沖縄への熱意を引き継いだ

 わが国周辺の安全保障環境を考えれば、日米同盟はもちろん、在日米軍の駐留はわが国のみならず、東アジアの平和と安定のためにも極めて重要である。特に沖縄は地政学的要地でもある。

 その一方、米軍の駐留の負担は大きく、現実的に少しずつでも減らしていかなければならない。

 そこで第2次安倍政権発足直後、仲井眞弘多・沖縄県知事と会談した。基地問題が主要なテーマだったが、仲井眞知事は那覇空港の第2滑走路建設を強く訴えた。

「これからの沖縄は観光を伸ばす以外に、活路はない。周りを海に囲まれた沖縄には飛行機で来るしかないが、すでに今の那覇空港は満杯。だから2本目の滑走路を造ってほしい、これだけは何としてもお願いしたい」

 仲井眞知事のこの沖縄を思う真摯な要請に触れ、私の心も強く動かされた。沖縄の未来のためにこれに懸けてみよう、この知事と共に勝負してみようとの思いを強くしたのである。このとき、私は仲井眞知事に「沖縄のためにできることは全て、目に見える形でやります」と伝えた。

 そして直ちに第2滑走路の事業化を指示。2013年3月には工期短縮の指示も出した。この件は後の回で詳しく触れるが、安倍政権の沖縄政策はこうして始まった。

 私自身、沖縄には特別な思い入れがあった。私が政治の師と仰ぐ梶山静六先生は、内閣官房長官在任中の1996年12月、在沖米軍基地の返還や騒音軽減などを包括的に盛り込んだ「沖縄に関する特別行動委員会(SACO)最終報告」を取りまとめている。「住民の負担軽減を」という師の熱意を、私も受け継いでいたのである。

 SACO合意には、普天間飛行場の移設や北部訓練場の一部返還などが盛り込まれ、実施のための議論や試行錯誤が繰り返された。しかしこの合意は第2次安倍政権が発足する12年末時点で、事実上、放置された状態だった。