人はなぜ病気になるのか?、ヒポクラテスとがん、奇跡の薬は化学兵器から生まれた、医療ドラマでは描かれない手術のリアル、医学は弱くて儚い人体を支える…。外科医けいゆうとして、ブログ累計1000万PV超、X(twitter)で約10万人のフォロワーを持つ著者(@keiyou30)が、医学の歴史、人が病気になるしくみ、人体の驚異のメカニズム、薬やワクチンの発見をめぐるエピソード、人類を脅かす病との戦い、古代から凄まじい進歩を遂げた手術の歴史などを紹介する『すばらしい医学』が発刊された。池谷裕二氏(東京大学薬学部教授、脳研究者)「気づけば読みふけってしまった。“よく知っていたはずの自分の体について実は何も知らなかった”という番狂わせに快感神経が刺激されまくるから」と絶賛されたその内容の一部を紹介します。

背中や腰の激烈な痛み、突然死も…「大動脈解離」の発症リスクがあがる“危険な習慣”とは?【医学のススメ】Photo: Adobe Stock

バレー選手の悲劇

 元オリンピック女子バレー銀メダリストのフローラ・ハイマンは、一九八六年一月二十四日、松江市総合体育館で行われた日本リーグの試合中に意識を失って倒れ、そのまま搬送先の病院で息を引き取った。ベンチに座っていた彼女が突如うつぶせに倒れたとき、周囲の人たちは呆然と立ち尽くし、何の蘇生処置もできなかった。

 当時この映像は米国のテレビでも放送され、日本人は強い非難を浴びた(1・2)。

 日本ではまだ、心肺蘇生の重要性が十分に周知されていなかったのである。では、彼女は一体、何が原因で命を落としたのだろうか?

 その答えは、大動脈解離である。大動脈解離とは、大動脈の壁が裂ける病気だ。何らかの理由で大動脈の内壁に傷が入ると、その裂け目に勢いよく血液が流れ込み、ますます亀裂が広がっていく。

 背中や腰の激烈な痛みを伴い、その痛みが移動するのが特徴だ。大動脈は体の中心を貫くもっとも太い幹線で、その中を血液が激しい勢いで流れている。血圧が一二〇(ミリメートル水銀柱)なら、一センチメートルの穴から約一・六メートルの血液が吹き上がる勢いである。

 大動脈の壁は内膜、中膜、外膜の三層構造だが、大動脈解離で裂けるのはもっとも弱い中膜である。大動脈解離が起きると、血液を十分に全身に送れなくなる。

 重度の場合は、一気に血圧が保てなくなり、心停止に至って突然死することもある。

 では、どのような人に大動脈解離が起こるのだろうか?

 高血圧、脂質異常症(コレステロールや中性脂肪の値が高い)、糖尿病、喫煙などが原因で起こる動脈硬化は、血管の壁を弱くし、弾力性を失わせるため、大動脈解離のリスクになる

 つまり、生活習慣病が大動脈解離の大きな発症リスクだ。特に高血圧は、それ自体が血管の内壁を傷つけ、大動脈解離を起こしやすくする要因になる。

 だが、健康の象徴ともいえるオリンピック選手の大動脈を脆弱にしたのは、むろん生活習慣病ではなかった。「マルファン症候群」と呼ばれる遺伝性疾患である。

異常な高身長になる病気

 マルファン症候群とは、生まれつき全身の結合組織が弱くなる遺伝性疾患のことだ。結合組織とは、さまざまな器官を結びつけて支持する組織の総称である。

 全身の至るところに結合組織は存在するため、マルファン症候群では全身に多様な症状を引き起こす。血管の壁を構成する組織が弱いため、大動脈瘤や大動脈解離を生じやすい。

 目のレンズ(水晶体)を支持する組織も弱く、視力の低下も起こりやすい。フランスの小児科医アントワーヌ・マルファンは、一八九六年、四肢や手足の指が異常に長い五歳の女児に関する最初の症例報告を行った。この特徴的な手足の症状は「クモ指症」と呼ばれ、マルファン症候群に特有の骨格の異常が原因だ。

 高身長で手足が長いという身体的特徴は、スポーツの世界で大きなアドバンテージだ。だが激しい運動中に血圧が乱高下すると、心血管系には大きなストレスになってしまう。

 常人をはるかに上回る手指の長さは、楽器を演奏する音楽家にとっても大きな強みになる。例えば、フランツ・リストの編曲した『パガニーニによる超絶技巧練習曲』で知られる作曲家、バイオリニストのニコロ・パガニーニはマルファン症候群だったとされる(3)。

 また、同じくマルファン症候群とされるセルゲイ・ラフマニノフは二メートルを超える長身で、その長い手指は、片手で「ド」から一オクターブ上の「ソ」まで届くほどだったという。

 ラフマニノフもまた、数々の難曲で知られる作曲家である。

 ともすれば死のリスクを背負いながら、それと引き換えに得た先天的な身体的特徴が音楽史に残る名作を生んだのである。

【参考文献】
(1)山陽新聞夕刊「一日一題」(二〇一二年六月二十三日)「フローラ・ハイマン」
        https://medica.sanyonews.jp/article/2821/
(2)“若年アスリートの健康管理”橋本通.昭和学士会雑誌.2016;76:164-9.
(3)『医学・医療の歴史をサラッと勉強』(朔元則著、原学園出版部、二〇二〇)

(本原稿は、山本健人著すばらしい医学を抜粋、編集したものです)

山本健人(やまもと・たけひと)

2010年、京都大学医学部卒業。博士(医学)
外科専門医、消化器病専門医、消化器外科専門医、内視鏡外科技術認定医、感染症専門医、がん治療認定医など。運営する医療情報サイト「外科医の視点」は1000万超のページビューを記録。時事メディカル、ダイヤモンド・オンラインなどのウェブメディアで連載。Twitter(外科医けいゆう)アカウント、フォロワー約10万人。著書に19万部のベストセラー『すばらしい人体』(ダイヤモンド社)、『医者が教える正しい病院のかかり方』(幻冬舎)、『もったいない患者対応』(じほう)、新刊に『すばらしい医学』(ダイヤモンド社)ほか多数。
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