人間の心の動きや行動の秘密を解き明かす試みは、学術的な関心だけでなく、実利的な応用という側面からビジネスや教育など幅広いジャンルで注目され続けています。その試みには、いくつかのアプローチ方法があります。脳科学、心理学、社会学、さらには哲学まで。それぞれはお互いに関与しあう部分を持ちながら、一般的には相容れない関係にあると言えます。
今回紹介するのは、神経科学の分野の第一人者である著者が最先端の脳科学を突き詰めることで、300年以上前に生きた先人の哲学的思想に出会う……そんな壮大な作品です。

情動と感情のメカニズムを
平易な言葉でわかりやすく解説

最新の脳科学と偉大な先人の哲学が融合する<br />サイエンス・ノンフィクションの大作アントニオ・R・ダマシオ著、田中三彦訳『感じる脳――情動と感情の脳科学 よみがえるスピノザ』
2005年11月刊行。記事にあるとおり、巻頭に訳者によるまえがきと「本書を読むためのキーワード」が収録されており、本文に入りやすい構成になっています。

 神経学者・神経科医のアントニオ・R・ダマシオ(1944-)による著作は3冊あります。本書『感じる脳――情動と感情の脳科学 よみがえるスピノザ』(2005)はその3冊目で、原題は“LOOKING FOR SPINOZA; Joy, Sorrow, and the Feeling Brain”(2003)です。

 前2作は『生存する脳――心と脳と身体の神秘』(講談社、2000)と『無意識の脳 自己意識の脳――身体と情動と感情の神秘』(講談社、2003)。『生存する脳』は改題され、文庫として出版されています(『デカルトの誤り――情動、理性、人間の脳』ちくま学芸文庫、2010)。

 ダマシオは情動と感情を脳のどの部位がどのように情報処理し、人間はどのように反応し、行動の選択をしているのか、観察と実験を重ねて特定していきます。

 前2作の段階では邦題に「神秘」とありますが、3作目の本書では「科学」です。fMRI(機能的磁気共鳴映像装置)やPET(陽電子放出型断層撮影法)といった最先端の医療用画像装置により、情動と感情を画像化して部位を特定できたと考えられます。

 この連載コラムの第14回で紹介したハーバート・サイモン著『【新版】経営行動』(ダイヤモンド社)で、ノーベル経済学賞受賞者のサイモンは「行動する主体(人間)は、完全な合理性で選択しているのではない、限定合理的である」としました。

 経済学は合理的に行動する人間像を前提に構築されています。サイモンはここに大きな命題をぶつけたわけです。サイモンはここから限定合理性を克服するための組織論へ進んでいきます。

 ダマシオは人間の情動と感情、そして神経科学的な選択のメカニズムを新しく描きました。本書『感じる脳』では情動と感情の詳細なメカニズムについて専門用語を使わずに書いています。

 前2作でダマシオはある仮説を説明しています。訳者の田中三彦氏は、前2作の訳者でもあり、まず本書の「訳者まえがき」でダマシオのソマティック・マーカー仮説を整理してくれます。読者はまず田中氏による「訳者まえがき」を熟読すれば、本文を読みやすくなるでしょう。