フィーチャーフォンは
“スマートフォン第一世代”だった

 先日、『スマホ普及、日本38%先進国で最低水準』(日本経済新聞電子版 7/12付)という記事が出た。読んでみると、総務省がまとめた2013年版の情報通信白書が元ネタで、「日本のスマートフォンの普及率は38.2%にとどまり、調査した日米英韓など6ヵ国で最低で、韓国の6割弱にとどまった」ということらしい。ちなみに、1位はシンガポールで76.8%、2位が韓国で67.8%、3位がイギリスで56.3%。タブレットの普及率も日本は12.3%で最下位だったそうだ。

 調査方法を見ると、1000人に「インターネットにスマートフォンを利用しているか」と質問した結果らしい。たった1000人に聞いただけで、先進国が6ヵ国というところも、データとしては限定的なものかとも思うが、たとえ事実がそうであったとしても、「先進国で最低水準」などと銘打つのは、自虐的に過ぎないだろうか。なぜならば、その背景には、この調査には表れていない日本のモバイル市場の状況があるからだ。

 日本はフィーチャーフォンにおいて、世界で類を見ない成功を果たした国だ。MMD総研が7月8日に発表した「フィーチャーフォンユーザーの携帯端末に関する利用実態調査」を見ても、スマートフォンの購入予定を聞くと、46.1%が「特に決めていない」、33.4%が「購入する予定はない」としている(合計で79.5%)。またその理由として、63%の人が「スマートフォンの必要性を感じない」からだと言う。

 それだけフィーチャーフォンに満足しているということであって、この状況を何も卑下する必要はないと私は考える。

 かつて、フランスではミニテルが普及していた時期がある。これは、フランス電信電話総局のビデオテックスのテレテルの端末の名前だ。古い話題で恐縮だが、これはビデオテックスシステムとして、世界で唯一成功し、普及したものである。この成功があって、フランスではインターネットの普及が遅れたといわれている。このシステムはつい最近、2012年6月までサービスされていたというから驚く。

 これをイノベーターズ・ジレンマ、すなわち「成功体験の呪縛」と呼ぶ必要が果たしてあるのだろうか。十分に満足できるサービスがあれば、それはその国のユーザーにとっては幸せなことだとは言えないだろうか。

 フィーチャーフォンの成功も同じだ。しかも、フィーチャーフォンとはそもそもどういう存在なのかということを考えるべきなのだ。

 実は、日本のフィーチャーフォンは、世界からは文字通り、スマートフォンと見られていたのだ。

 確かに、モニタは小さい。フリック入力ができない。画像の精度も粗かったから表現力は劣っていた。さらに、今のスマートフォンの代名詞と言えるタッチインターフェースではなかった。しかし、考えてみてほしい。電話やメール機能だけにとどまらず、マルチメディアといってよいデバイスなのだ。