「強迫観念にとらわれたかのようにメールの返信を急ぐ人」、「せっかく一流企業に入ったのに辞めて、所得を減らしてでも自分らしい職場を探す人」……。一見不可解な現代の若者に特徴的なこれらの行動。こうした行動に駆り立てる原因を探っていくと、彼らの「認められたい」という思いに行きつくことが少なくない。現代において若者を悩ませる最大の問題は、経済的不安ではない。「認められない」という不安なのだ。
一方で、若者でない世代も含めて、日本に蔓延する閉塞感の正体を探る意味でも「承認」、さらに「承認格差」は、大きなキーワードだと考える。この連載では、経済的な格差に苦しむよりも深刻かもしれない、「“認められない”という名の格差」を考えていこうと思う。
さて、前回まで、家庭や恋愛など、親密な関係性と承認について考えてきたが、ここからは職場やクラスメイトなど、共通の目的性を持った組織と、承認のバランスを考えることにする。そして、今回のテーマはズバリ、“ブラック企業問題”だ。ブラック企業と当連載に何か関係はあるか、と思われるかもしれない。だが、突き詰めていくと、大いに関係があると考えられるので、それをこれから書いていこうと思う。
「そんなにイヤなら辞めればいい」
外側からはブラック企業問題を理解できない
ブラック企業の問題に触れる際、問題の外側にいる人たちがいつも抱く疑問がある。それは、「そんなに今の会社がイヤなら、辞めればいいのに」という点だ。記憶に新しいのは、ホリエモンこと堀江貴文氏がツイッターで、ブラック企業についての質問に対し、「嫌だと思ったら辞めればいいのでは?辞めるの自由よん」と回答したことだろう。この発言に対してはネット上で多くの疑問が寄せられ、いわゆる炎上したのだが、一方でこの回答に納得した方も多かったのではないか。実のことを言うと、僕もその意見に同意している。
人間は自分の経験を通してしか判断ができない。例えば自分の場合で言うと、学校を卒業し、フリーターを経てフリーランスのライターとなり、そのまま起業したので、企業に就職した経験はない。一時期、正社員ではないものの、完全歩合契約で雇ってくれた会社があったのだが、その会社では人間関係に悩まされた記憶はある。が、その煩わしさも仕事に占めるウェイトは小さなものだったし、目標ができてからは、「これも独立・起業までの一時的なものだから仕方ない」と割り切ることができた。しかも、総合的に見るとその会社での経験は大変勉強になるものだった。要するに会社に就職して不満を感じたことはない。だから、ブラック企業と騒ぐ人の気持ちが、本当のところはよく分からないのだ。