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ニッポン 食の遺餐探訪

“消えゆく業界”から海外シェフ注目の食材へ
日本の食文化を守る「幻の昆布問屋」

樋口直哉 [小説家・料理人]
【第16回】 2014年3月19日
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 今、日本の経済は緩やかな衰退局面にあるが、世界の経済規模は逆に大きくなっている。発展途上国の成長によって中間層が拡大しているからだ。

 食の分野はそのなかでもとりわけ成長が期待されている。

 A.T.カーニー社の統計をもとに経済産業省が発表した数字によると、2009年に340兆円だった食の市場規模は2020年には680兆円に到達するとされ、そのシェア争いはすでにはじまっているそうだ。

 日本の食が世界からは注目されているのは言うまでもない。

 それは単純に質のいい食材を生産しているというのにとどまらず、日本料理という文化にも及んでいる。日本料理店の数は農林水産省の統計によると2006年には2万4000店だったが、2013年には5万5000店を越えた。数が増えるにつれ、日本料理の理解もかつての寿司や天ぷらといったわかりやすいイメージから、もう少し深まっているようだ。

 今、世界のシェフたちが関心を寄せているのが『昆布』だ。その理由はカロリーがゼロで、旨味を豊富に含んでいるため、油脂類の使用量を減らし、満足感を出すことができる食材というだけではない。彼らは日本にしかないという神秘性にも惹かれているようだ。

 そこで今回は福井県敦賀の昆布問屋『奥井海生堂』の社長である奥井隆さんから昆布について教えを請うた。奥井さんは昆布が世界から注目されることになった立役者の1人だ。

戦前まで豊かに栄えた昆布問屋
戦後には「消えゆく業界」へ

昆布はかつて薬としても珍重された高級品。当時は金と等価交換されるほどだったという
(写真:奥井海生堂提供)

 日本人と昆布の関わりは深く、長い。

 奥井さんが著されたその名も「昆布と日本人」(日経プレミアシリーズ)という本を読むと、そのあたりのことを知ることができる。身近にありながら詳しくは知らない昆布という存在を再発見させる、得難い種類の本だ。

 「明治維新は昆布のおかげ?」という帯文が目を惹くが、その答えについては同書をお読みいただくとして、蝦夷地で食されていた昆布がメジャーな存在になったのは江戸時代中期のこと。北海道と大坂を往復しながら物資の売却をする「北前船」の航路が確立されたことで、京都や大阪に昆布が広まった。そして、敦賀は北前船の唯一の中継地だった。

 「敦賀は交通の要衝だったわけです。うちは敦賀で今も商いを続けている昆布商のなかでは一番古いと聞いています」

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樋口直哉 [小説家・料理人]

1981年生まれ。服部栄養専門学校卒。料理人として活動する傍ら、2005年、『さよならアメリカ』で群像新人文学賞を受賞し、小説家としてデビュー。ほかの作品に『月とアルマジロ』(講談社)、『大人ドロップ』(小学館)、『星空の下のひなた。』(光文社)、『ヒマワリのキス』(徳間書店)、『アクアノートとクラゲの涙』(メディアファクトリー)がある。

 


ニッポン 食の遺餐探訪

和食を世界遺産に、という動きが農林水産省を中心にはじまっている。日本料理はここ十年余りの世界的な流行になり、外国の料理人の多くも関心を持っていて、誰もがそれを理解しようとしている。しかし、当の日本人の多くは日本料理を理解できていないのではないか。そこでこの連載では、日本の食を支えている道具や食材をつくっている生産者、職人を訪れて、私たち日本人が知らない日本の“食の遺餐”を紹介していく。 

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