前篇で見たように、2010年からのベンチャーブームには、「ファンド(LPS法による投資事業有限責任組合)」「優先株式」「投資契約」という3つの仕組みが大きな役割を果たしている。しかし今、そのうちの「ファンド」の存立が危うくなっている。ベンチャー界に激震が走った、「適格機関投資家等特例業務の見直しに係る政令・内閣府令案」の影響と背景について解説してもらう。
(対談日:2014年7月1日、構成:菱田秀則、横田大樹)
ファンド規制案に
ベンチャー界が衝撃を受けたわけ
――なかなかわかりにくい話ですので、いま大問題になっている「ファンド規制」について、最初にご説明いただけますか。
磯崎 まず、現在の金融商品取引法では、多くの人から資金を集めるファンドの募集や運用については、原則として、登録を受けた「第二種金融商品取引業者」等が行わなければならないことになっています。「第一種金融商品取引業者」がいわゆる証券会社ですので、証券会社に準ずる管理態勢が求められる「金融業者」にならないと原則としてファンドの募集ができません。
しかし、この原則には例外があって、それが今回問題になっている「適格機関投資家等特例業務」です。どういうことかと言うと、銀行や証券会社などのプロの投資家(=適格機関投資家)1人がファンドに出資していれば、ある程度の信用が担保されていると判断できるため、残り49人以内までは、投資家の要件に特に制限はないし、「金融業者」にもならなくてもいいということでした。
今回の規制は、「残り49人以内の一般投資家」について、個人であれば「投資性金融資産を1億円以上保有」、法人にも「資本金5000万円超または投資性金融資産3億円以上」といった厳しい要件を新たに設定しようというものです。
郷治 これがベンチャーの話とつながるのは、「LPS法による投資事業有限責任組合」によって運営されるベンチャー投資ファンドは、ほとんどこの特例によって設立・運用されているからです。
もともと「LPS法による投資事業有限責任組合」は、金融商品取引法の前身である証券取引法上の規制を受けていなかったのですが、2004年に証券取引法が金融商品取引法という名前に変わるときに規制対象とされることになり、その際に設けられたのがこの「適格機関投資家等特例業務」です。その当時は、それまで自由に行われていた投資事業有限責任組合への出資による資金供給が、金融商品取引法の規制によって不当に阻害されることのないよう、誰かプロ、すなわち適格機関投資家1人がファンドに出資していれば、残りの投資家は自由にするべき、という政策判断がなされていたのです。そうした中で、独立系ベンチャーキャピタリストが徐々に育ってきました。
磯崎 はい。日本もようやくここまで来ましたね。
郷治 それに対して、今回の規制案の考え方はまったく異なります。つまり、プロの適格機関投資家が一緒に出資していようが、それ以外の投資家による出資は原則としてそもそもできなくしてしまい、限定的に列挙された特別な類型の者たちにだけ、出資の勧誘を認めよう、というものです。こうなってしまうと、「適格機関投資家等特例業務」として独立系のベンチャーキャピタルが一般の個人や会社の出資者と共同でファンドを設立することが非常にむずかしくなるのです。
これまでは、新たにベンチャーキャピタリストになろうという人がいると、その人の立ち上げるファンドに、友人、知人、親戚であるとか、あるいはビジネスのお付き合いがあってそこまで資産家じゃない人が、こいつをぜひ応援してやろうといって出資するケースがあったんですが、そのようなことは、新しい規制案ではできなくなってしまいます。
磯崎 「投資性金融資産を1億円以上保有」という条件は、一見「ま、そんなもんじゃない?」と思われるかもしれませんが、たとえ現預金を5億円持っている大金持ちの方がいたとしても、株などを1億円以上持っていなければ、ファンドには1円も投資できないということなんですよ。普通の人は「有価証券を1億円以上持っている知り合い」なんていないし、どうやって探したらいいかもわかりませんよね。1人も思い当たらないという人が国民のほとんどじゃないでしょうか。
本当に特殊な人や法人だけしか、ベンチャーキャピタルに出資できなくなってしまうわけです。今までの規制が非常に緩くて抜け道があったのも問題ですが、今度はいきなり、投資の環境がいきなり米国以上に厳しいものになってしまうということですから。
郷治 ベンチャー投資に占める出資の金額だけでいうと、どうしたって機関投資家のお金のほうが圧倒的に多いわけです。だから、今回の規制の影響は小さいように思えるかもしれません。でも、そうした数字だけで「個人投資家が出しているのは“はした金”だろう」と思うと、見誤る。
大口の機関投資家だけでなく、さまざまな個人が、新しくベンチャーキャピタリストをやろうというチャレンジ精神を持った人と一緒にベンチャーを応援できるようにしておかないと、新しい芽がつまれてしまう。それどころか、そもそも新しい芽が生まれなくなってしまうリスクすらあって、非常に心配しています。新しい芽が生まれにくい、育ちにくい環境になれば、将来の日本の産業を変革するような新しいチャレンジャーも、当然、出てきにくくなるわけです。
磯崎 自然の生態系と同じで、ベンチャーにも「生態系」があるんです。普通の人の目には大きな動物や植物しか見えませんが、哺乳類や鳥類だけで生態系が成り立つかというと成り立たないわけです。今回の規制は、哺乳類と鳥類は残して、他はどうなってもいいや、というようなものなんです。独立系ベンチャーキャピタルを、細菌や昆虫ににたとえてしまって恐縮ですが、わかりやすい例だと思いますのでご容赦ください。
郷治 新陳代謝の「新陳」をなくすようなことをしようとしているんですね。今の日本のベンチャーキャピタル業界を「森」にたとえてみると、独立系ベンチャーキャピタルのファンドは、まだまだ数も少なくて規模も小さな「苗木」や「小さな木」のようなものです。そういう中で、「一定の高さ以上の木だけで森ができればいいじゃないか」みたいなことを続けていたら、森はいつか枯れてしまいますよ。
磯崎 そう。競争がないところには絶対にいいものは生まれません。最近は独立系のベンチャーキャピタリストとしてベンチャーを育てたいという人も徐々に増えていますが、彼らがベンチャーの生態系に参加することも極めて困難になってしまいます。