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サイボウズはどのようにして「100人100通り」の働き方ができる会社になったか
【第1回】 2015年12月22日
著者・コラム紹介バックナンバー
青野慶久

社名は「サイボウズ」。
変な響きだから覚えやすいだろう

かつて、社員の離職率が28%にまで達していたサイボウズは、どのようにして社員が辞めない「100人100通り」の働き方ができる会社になったのか? その過程と、多様性をマネジメントする手法を詳細に記した書籍、『チームのことだけ、考えた。』より、サイボウズの創業期から会社の改革に着手するまでの部分を抜粋して紹介します。

社員が辞めない変な会社

『チームのことだけ、考えた。』は「サイボウズ」という会社について書いたものだ。サイボウズは、1997年に筆者を含む3人で創業した会社で、「グループウェア」という情報共有ソフトを開発している。中小企業から大企業まで業種を問わず広く利用されており、日本ではトップシェアだ。グループウェアを使えば、さまざまな情報を共有し、スピーディに意見交換できるので、楽しく効率的に働けるようになる。

 企業向けのソフトウェア開発だから、顧客やパートナーとの信頼関係を大事にする堅い商売だ。しかし、会社としてはややゆるい。たとえば、台風が来ることがわかると、ほとんどの社員は出社してこない。オフィスはがらんと誰もいない状態になる。ただし、社員は休んでいるわけではない。家でパソコンに向かって働いているのだ。仕事のほとんどの情報はグループウェアで共有されているので、どこにいても働ける環境が整っている。雨でびしょ濡れになってまで出社する必要がないと、社員には大変評判がいい。

 サイボウズの業績は中途半端だ。まだ若いベンチャー企業であるにもかかわらず、2008年ごろから4年間で、主力のグループウェア事業の売上はほぼ横ばいで成長しなかった。しかし、その間も社員は増え続け、日本の社員で約400人、海外の社員で約100人、合計500人を超えるまでになった。売上が増えないのに社員が増えているのだから、当然利益は減少し続けている。2013年からはようやく売上が好転しつつあるものの、それでも2014年の売上高は年間60億円程度。1人あたりの売上高は1000万円強にしかならない。

 ただ、サイボウズは注目されている。講演や取材の依頼は後を絶たない。2014年、私が受けた講演やメディアの取材は約100回。依頼を受けるのは私だけではない。短時間勤務で働く人事の採用担当が、技術力の高い若手プログラマーが、育児休暇から復帰したママ社員が、副業するベテラン社員が、入社したばかりの新人が、毎日のようにどこかで講演をしたり取材を受けたりしている。私も含め、おしゃべりな社員が多いのが特徴だ。

 また、私が育児休暇を取ったことも格好の取材対象だ。2010年に長男が、2011年に次男が生まれ、それぞれ育児休暇を取った。サイボウズはこれでも東証一部上場企業。そのトップが育児休暇を取ることは珍しい。私は「イクメン社長」と呼ばれるようになり、それをいいことに毎日できるだけ早く退社している。「サイボウズのグループウェアを導入すれば、社長が会社にいなくても業務が滞ることはありません」。これが決まり文句だ。本書を執筆中の2015年には第三子が生まれて、また育児休暇を取った。

 こう書くと、サイボウズは「安心して働ける会社」だと思われるかもしれない。しかし現実は違う。グループウェア業界の競争は熾烈だ。Microsoft、IBM、Googleなど、歴史に名を残す偉大な欧米のIT企業と激しい競争をしている。本来サイボウズごときが生き残れる市場ではない。新興ベンチャー企業の参入も多い。しかし、今まで数多くのソフトウェア企業が参入と撤退を繰り返すなか、サイボウズは市場シェアを拡大してきた。

 このサイボウズという会社の面白さを理解するには、上場企業が規則に沿って公表する数字だけを見ていてはわからない。売上、利益、資産、それらに特徴はない。むしろ平凡以下である。他の隠れた数字や定性的な情報に面白さがある。

 たとえば、離職率。2005年に28%だった離職率は、2013年には4%を切るところまで低下した。引き抜きの激しいこのIT業界では相当低いほうだろう。業績が上がっていないのに人が辞めなくなった。辞めなさ過ぎて気持ちが悪いほどになった。社員が辞めないので、採用コストや教育コストをあまりかけなくてよくなった。

 女性社員の割合は約4割。エンジニアの比率が5割を超えるソフトウェア企業としては異例の高さだ。特にプロモーションやサポート部門は女性中心だ。夕方になると、女性社員の笑い声が社内に響く。開発の品質保証部にも女性が多い。経理や人事など事業支援部門にも女性が多く、その部門長で執行役員を務める中根弓佳は子育て中のワーキングマザーだ。この男女比のおかげで不思議なバランス感のある会社になった。

 顧客企業の数は累計で6万社を超え、日本ではトップを走っている。特徴的なのは、顧客企業の多様さである。対象となる企業規模もさまざまで、業種は製造からIT、通信、金融、飲食、小売、自治体、学校まで幅広く利用されている。最近は米国や中国の現地企業でも使われ始めた。サイボウズ程度の規模で、こんなに多様な顧客を持つ会社は珍しいだろう。最近は無料で使えるグループウェア・サービス(サイボウズLive)の提供を始めたので、学生サークルや家族、PTA、マンションの管理組合など、企業以外のグループでも使われ始めた。ある意味、あらゆる組織の情報共有インフラとなりつつある。

 株主構成も面白い。大株主の1位、2位は創業者である私と畑慎也(現サイボウズ取締役)。これはベンチャーならよくあるケース。ただし、3位が「社員持株会」である。全社員の約90%が社員持株会に加入し、毎月サイボウズの株式を買い続けている。その結果、社員の持ち株比率は高まり続けている。「株式会社は株主のもの」などとマネー資本主義者は言うが、サイボウズはそのうち社員に買収され、社員のものになりそうだ。

 サイボウズはソフトウェア・メーカーだから技術を大事にしている。創業者3人は揃って技術者だった。サイボウズは面白さが目立つため、技術力は注目されにくいが、実は特異とも言える技術レベルのソフトウェアを生み出し続けている。その1つが「cybozu.com」というクラウドサービスだ。

 クラウドサービスは、アプリケーションの開発力だけでなく、それを支えるインフラの設計や構築、技術サポートまで、総合的な技術力が問われる総合格闘技のような種目だ。上から下まで一貫して提供できる企業は世界でも数少ない。サイボウズはそれをやり遂げた。そして、その出来栄えは、IT大国アメリカの超大企業のものと比べても遜色ない。元エンジニアの私が見る限り、グループウェアのクラウドサービスとしては世界最高だと思う。

 安定したクラウドサービスを提供するには、日々のオペレーション力が鍵である。「cybozu.com」の稼働率は99.99%を超えている。この品質を維持するには、開発から運用、サポート、プロモーション、製品企画、人事や法務まで、メンバー同士が効率よくチームワークを組まなければならない。サイボウズでは、個性的なメンバーが協調しながらスムーズに活動し、サービスの安定稼働を続けている。今や「cybozu.com」は、有料契約社数が1万社を超え、医療や介護でも使われる重要な社会インフラになった。

 また、2014年12月にサイボウズは1本の動画、『大丈夫』を公開した。グループウェアの宣伝は一切入れず、単純に日本におけるワーキングマザーの現状をリアルに描いたものだ。公開直後から大きな反響を呼び、1ヵ月で50万回以上再生された。この動画はクチコミで広がり、経営者や学者、そして政治家や芸能人まで巻き込んで、議論の波紋が広がった。サイボウズが行なった問題提起は、日本社会を動かすこともある。

 堅いようでゆるい。弱いようで強い。果たしてこれからサイボウズはどうなるのか。私は起業から18年間サイボウズを見続けてきたが、今後のことはまったくわからない。しかし、ワクワクしている。次に何をやらかすのか楽しみでしょうがない。世界を席巻するソフトウェア企業になるかもしれない。競合に叩きのめされて消えていくかもしれない。面白過ぎる。どうしてこんな企業が生まれたのか。今までの実験結果を報告するつもりでこの本に記してみた。

社名は「サイボウズ」。
変な響きだから覚えやすいだろう

 サイボウズを起業したのは1997年。創業者は3名。初代の社長を務めた高須賀宣(とおる)さん、今もサイボウズのプログラマーであり続ける畑慎也さん、そして私、青野慶久だ。高須賀さんは私が松下電工で働いていたときの先輩であり、畑さんは私の大学の先輩だ。

 畑さんは、私と同じ大阪大学工学部情報システム工学科の1つ上の先輩で、学生のころからプログラミングのスキルが高かった。それを見て私は、自分にプログラミングの才能がないことを悟り、コンピュータの会社に入るのをあきらめて、松下電工(現パナソニック)に入社した。畑さんは一太郎やATOKなどのソフトで有名なジャストシステムに入社した。

 松下電工に勤めていたときは、大型のサイン機器……たとえば野球場のスコアボードのようなものを販売する営業企画部門に所属した。また、部門内のネットワークを管理する仕事も併せて任されたので、パソコンやメールを全員が使えるようにした。みんながパソコンで図表を作成し、共有できるようになり、Eメールを使えるようになり、働き方が変わっていくのを見るのがうれしかった。

 入社2年目の1995年ごろから「ウェブ」という新しいインターネット技術が普及し始め、私はこの技術の虜になった。自分のパソコンでNetscapeというウェブブラウザを立ち上げれば、世界中の情報を閲覧することができた。これは情報共有の革命が起きる。そう確信した。アメリカではすでにインターネット起業ブームが起きていた。AmazonやYahooなど、爆発的に事業を拡大するインターネット企業が生まれていた。

 かっこいい。新しいソフトウェアの時代が来たと確信した。MicrosoftやOracleのような旧来のソフトウェア企業が世界を席巻していたが、インターネット時代の幕開けとともに、また新しい波が来たのだ。プログラミング技術さえあれば、インターネットを使って世界にチャレンジできる。世の中では、ECサイトやホームページの提供などをする企業がたくさん生まれていた。しかし、私たちはこの「ウェブ」の技術を使えば、企業内での情報共有に使えると考えた。なんとかこの技術を使った情報共有ソフト、つまり「グループウェア」を作りたい……と思っているうちに、気付けば松下電工を退社し、3人で会社を作っていた。

 社名は「サイボウズ」。サイバーな子どもたちという意味の造語だ。変な響きだから覚えやすいだろうと、畑さんがノリと勢いで名付けた。創業地は愛媛県松山市。本当は大阪で起業したかったが、家賃が高くてあきらめた。私たちにはお金がなかった。そこで発想を転換した。インターネットでソフトを売るのなら、オフィスの場所は都会でなくてもよいだろう。これからは地方でもインターネットの常時接続が当たり前になる。ネットでつながってしまえば、オフィスはどこにあっても関係ない。家賃は安いほうが有利だ。偶然にも高須賀さんと私は愛媛県の出身で、畑さんはジャストシステムにいたから徳島県に在住経験があった。四国だ。愛媛だ。松山だ。私たちは愛媛県松山市の2DKのマンションを家賃7万円で借りて起業した。畑さんはその一室に住み込んだ。

 畑さんが製品を開発し、高須賀さんが金の管理や顧客サポートをした。残った私は売る役だ。製品の企画は3人で議論した。意見が割れたら、それぞれの役割の担当範囲に応じて責任を持って決めた。

週6日で給料ゼロ。
過労死寸前まで働く

 当時の働き方は、今から考えると過激だった。月曜から土曜までが出勤日。朝の出勤時刻は9時過ぎだが、夜は12時を過ぎてから1時、2時と頑張れるところまで働くのが日課だった。日曜はさすがに休んだ。1週間の疲れを取るべく死んだように寝た。

 祝日の午前中は休みにしたが、午後から出社した。こう書くと半休のようだが、実態は違う。午後だけで12時間ほど働いたことになる。朝寝坊ができるだけの祝日だった。

 やることはいくらでもあった。企画、開発、テスト、ホームページ作成、広告、PR、ダイレクトメールの配信、顧客サポート、受注システムの構築と運用……なにしろ早くソフトを作り、ヒットさせなければ会社が倒産するのだ。3人で10人分の仕事をこなしていたのではないだろうか。

 こんな危ないこともあった。その週、私は月曜から体調が絶好調だった。朝から目がギンギンで、頭が冴えまくっている。夜は3時過ぎまでまったく眠くならない。月曜、火曜、水曜とそれが続いた。「ついに私の全盛期が来た」と思った。しかし、木曜の夕方、どっと疲れがきた。「今日は早く帰ります」と2人に伝え、歩いて10分ほどの1Kのアパートに帰り、鍵を開け、部屋の電気をつけた瞬間、前向きに倒れた。意識はあるが体が動かない。さて、どうしたものか。心臓がバクバクと鳴っている。その後、意識も失った。気付けば翌朝。12時間ほど経過した後だった。とりあえず生きていることに安心したが、本当に死ぬかと思った。死んでいれば過労死と言われていただろう。まだ若かったので心臓が耐えてくれたのだと思う。それ以降、体調が良くても調子に乗り過ぎないことを意識している。

 そして、これだけ働いても給料はゼロである。会社の売上が少ないのに、給料なんていらない。もらったところで使う時間もない。3人とも同じ思いだった。血液型は3人ともA型。3人とも技術者。3人ともこの事業の成功を夢見ていた。極めてモノカルチャーな会社だった。

すぐに売れたが人手が足りない。
初の採用はベテラン派遣の上田さん

 サイボウズは予想外に早く結果を出し始めた。1997年8月に創業した後、10月に最初の製品「サイボウズ Office」を発売開始、12月には単月で黒字化、翌年の3月には月の売上が1000万円を超えた。世間では、ウェブ技術を使って社内の情報共有をする手法を「イントラネット」と名付け、多くの企業が導入を試みていた。時代に乗るとはこういうことか。畑さんが作る「サイボウズ Office」は、既存のグループウェアよりも圧倒的に使いやすく、手軽に情報共有を実現できた。「サイボウズ Office」は我々3人の予想を上回るスピードで売れていった。

 しかし、困ったことがあった。人手が足りない。注文が増えればライセンス証書や請求書の発送作業も増える。問い合わせも増える。注文が来るのに対応が追い付かない。問い合わせを受けても、返答するのは2~3日後だ。3人とも目いっぱい働いているのにさばききれない。

 手伝ってくれる人をすぐに採用するため、松山市のタウン情報誌に人材募集広告をかけてみたが、ほぼ反応はなかった。無理もない。3名しかいないITベンチャーだ。しかも、「サイボウズ」という社名は怪し過ぎる。オフィスの住所はマンションの一室だ。これも怪しい。採用できたとしても、働いてもらうスペースがない。まずは引っ越そうということで、古い雑居ビルに移動した。面積は大幅に増えたが、家賃はほとんど変わらなかった。つまり、きれいなビルではなく、鍵をかけてもドアを蹴れば開くようなオフィスを借りた。

 正社員の採用は難しそうだということで、地元の人材派遣会社から来ていただくことになった。上田さんというベテランの女性だった。顧客からの注文に対応する業務をお願いしたが、上田さんは素晴らしく仕事ができた。仕事ができるだけでなく、3人の規律を正すお目付け役も務めていただいた。朝は一番に出社され、3人が9時を過ぎてからダラダラと出社するのを毎朝出迎えてくれた。古くて汚い共同便所の掃除までしてくれた。大きな夢ばかり語る3人を面白そうに眺めていた。

 日々の受注処理から解放された私は自由に出張できるようになった。東京の出版社を回り、IT雑誌の記者を相手に、いかに「サイボウズ Office」が優れているかを説いて回った。こんなに優れたソフトなのだから、記者も大注目するに違いない。ところが現実は違った。ひどいときは1人だけを相手に30分以上もプレゼンテーションをした。まぁ、そんなもんだ。熱狂的なファンになって記事を書いてもらえたらいいと思っていたら、本当に記事を書いてくれた。このころに知り合った記者の方には、今でも感謝している。

 東京でメディア回りを済ませた私は、製品を導入していただいた企業の事例取材に向かった。有名な会社の導入事例は、サイボウズの信頼度向上につながる。取材を受ける側にリスクがあるので、ほとんどの企業に取材を断られたが、それでも先進的な一部の大企業に助けられた。導入事例の記事は、我々のホームページに大きく掲載し、次の顧客に安心感を与える材料となった。

 こうしてサイボウズは事業を拡大していった。

※第2回は12/24公開予定です

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青野慶久 

あおの・よしひさ 1971年生まれ。愛媛県今治市出身。大阪大学工学部情報システム工学科卒業後、松下電工(現パナソニック)を経て、1997年8月愛媛県松山市でサイボウズを設立。2005年4月代表取締役社長に就任(現任)。社内のワークスタイル変革を推進し離職率を6分の1に低減するとともに、3児の父として3度の育児休暇を取得。また2011年から事業のクラウド化を進め、2015年11月時点で有料契約社は12,000社を超える。総務省ワークスタイル変革プロジェクトの外部アドバイザーやCSAJ(一般社団法人コンピュータソフトウェア協会)の副会長を務める。著書に『ちょいデキ!』(文春新書)がある。


サイボウズはどのようにして「100人100通り」の働き方ができる会社になったか

書籍『チームのことだけ、考えた。』は、社員の離職率が28%に達し、ブラック企業になっていたサイボウズを、“社員が辞めない変な会社”に変えた、理系社長の奮闘記です。
この連載では、その冒頭部分、創業期から会社の改革に至るまでの「前史」とも言える部分を公開します。

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