それが、韓信が指摘した第二の欠点「婦人の仁」です。韓信曰く。
「彼は、部下にはやさしい言葉をかけ、女性のような思いやりを見せることもありますが、いざ褒賞を与える段になると、途端に女々しくこれを渋ります。これは“婦人の仁”にすぎませぬ。これは致命的といってよい項羽の欠点です。大王(劉邦)が天下を望まれるならば、彼の逆を為せばよろしい」

 項羽の逆、すなわち「家臣を信頼して仕事を任せ、功に対しては惜しみなく恩賞を与える」ことです。

得たものはなくなり、
与えたものは増える

 人は、自分が苦労して手に入れたものを頑として手放したがらないものです。どんな才人であろうとも、人ひとりの努力の成果などたかが知れていますから、「あれほど努力したのに、この程度の見返りしかないのか……」という思いに駆られ、より一層「これを手放してなるものか!」となってしまうのも無理からぬところはあります。

 しかし、自分の努力で手に入れたものは、どれほど手放すまいとしがみついてみても、春先の雪の如く、減ることはあっても増えることはありません。それどころか、そんなことをすれば必ず、周りの協力者がひとりまたひとりと去っていき、気がついたときには孤立化し、そんな犠牲まで払って後生大事にしていたものすら、いつの間にか手の中からなくなっています。項羽はこの愚を犯して、その身を亡ぼしました。

与えよ、
さらば与えられん

 項羽の二の舞にならない解決策はひとつ。自分の懐に入れておいてもどうせ消えゆくのですから、消えてしまう前にどんどん周りの人に感謝を込めて与えてしまうのです。得たものは、100%自分の力のみで手に入ったものではないはずです。必ず周りの人の助力、援助、支援があっての成果のはずです。ならば、報酬は入った先から、お世話になった人に惜しみなく与える。

 項羽と劉邦の例で言えば、項羽は、戦いにおいていつも敵を殲滅し、得た領土をほとんど我が物とし、功臣にこれを分け与えることを渋りました。それにより、始めは項羽に従っていた者たちも、ひとり、またひとりと、項羽から離れ、劉邦の下へ走っていくことになったのです。

 これに対して劉邦は、なるべく戦わぬことを心掛け、戦わざるを得なくなったときもなるべく敵に降伏を促し、降伏した者には所領を安堵し、功を成した者には、得た領地を惜しみなく与え続けました。そのため、全国から優れた人材が集まり、各地の諸侯が忠誠を誓うようになり、与えた財が何倍何十倍にもなって劉邦の下に還ってきたのです。

 確かに劉邦は項羽に比べ、才には恵まれていなかったかもしれません。しかし、項羽は奪えば奪うほど失っていき、劉邦は与えれば与えるほど集まり、ついに天下は劉邦の下に転がりこむことになったのです。

「得たものは与える」。これを理解できない者は、一時的に成功したように見えることはあっても、必ず足をすくわれることになります。

自利は利他を言う。

 組織のトップに立つ者は、特別な才能などなくても構いませんが、部下を信頼して使う度量と、他人の利益(利他)のために尽くすことが、結局自分の利益(自利)になることを心得、功に基づいて惜しみなく与えることが大切だということを、両雄の人生から学ぶことができます。