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戦略は歴史から学べ
【第6回】 2016年4月4日
著者・コラム紹介バックナンバー
鈴木 博毅

史上最強といわれるチンギス・ハンは
ビジネスで考えると何が圧倒的に強かったのか

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ナポレオンと並ぶ戦いの天才と言われたチンギス・ハン。圧倒的な強さで短期間に一大帝国を築き上げた裏には、「戦う前に勝負を決める」という、これまでと大きく違う戦い方があった。ビジネスでも戦う前にすでに大きな差をつける戦略がある。それはどんな戦い方なのか?今も昔も変わらない不変の勝利の法則を、ビジネスでも応用できるようにまとめた新刊『戦略は歴史から学べ』から一部を抜粋して紹介する。

【法則5】戦う前に勝負を決める

なぜチンギス・ハンは史上最大の帝国をつくれたのか?
戦闘というと、敵と刃を交えて奮闘することをイメージする。だが、アジアの大平原から出現した無敵のモンゴル軍は、相手が混乱に陥るまで敵と接触しない戦いを常に追求して、短期間に中国からヨーロッパにいたる一大帝国を築き上げた。そこにはどんな戦略があったのか?

父を殺され、血族を超える戦闘集団を目指す

 1167年頃に生まれた男児は、モンゴル帝国を創始し、歴史の流れを変える巨大な足跡を残します。テムジンと呼ばれた彼の幼少期は、覇業とは逆に苦難の連続でした。

 小部族の族長だった父を対立するタタール族に毒殺され、父の死で部族はテムジン一家を見捨てます。母と六人の子らで狩りをして生き残り、獲物を巡ってテムジンが異母兄弟を殺したり、他部族に誘拐され、間一髪で脱出したこともありました。

 部族同士の確執も大きく、テムジンは幼い頃の親友で別部族の長ジャムカと闘争を続け、亡き父の盟友で叔父とも呼ぶ信頼した人物にさえ裏切られます。家族、部族、親友さえ決して安易に信頼すべきではないと学んだテムジンは、血族を超える忠誠心を持つ強力な戦士の集団を目指し、偉大な統率者の才能を発揮します。

 西方に逃れたジャムカはナイマン族と結び、1204年に決戦を挑みますが、数で劣るテムジンは夜のかがり火を必要な数の100倍たかせて、兵数を偽装します。ナイマン連合軍は偽計に騙されて浮き足立ち、ジャムカが恐怖に駆られ逃亡したことで全軍が戦意を喪失、モンゴル軍に散々に打ち破られてナイマン王は戦死します。この勝利でテムジンは全部族の支配者、チンギス・ハンと称しました。

ナポレオン1世以外、勝てないほどの強さを誇る

 「チンギス・ハンの遠征は世界史上、類をみないほど遠大なものだった。これほど広大な領土が一人の男によって征服されたことは、かつてなかった。チンギス・ハンが死んだとき、その版図はアレクサンドロス大王の帝国の四倍、ローマ帝国の二倍になっていた」(ロバート・マーシャル『図説モンゴル帝国の戦い』より)

 20世紀のイギリスの軍事史専門家、リデル・ハートは、チンギス・ハンと彼の忠実な部下スブタイの軍事能力に関し、軍事史上、彼らに太刀打ちできるのはナポレオン1世以外にはないとまで評価しています。

 チンギス・ハンは1211年に中国の金王朝を侵略。当初、守りの固い城塞都市に苦戦しますが、この経験が攻城戦の技術を高め、中央アジアと東欧でモンゴル軍の勝利を生み出します。

 1219年には、イスラム圏のホラムズ・シャー王朝と開戦。軍勢を三手に分けて進軍し、一年ほどでシャー王朝の各都市を陥落させて事実上の滅亡に追い込みます。さらに進軍を続けたモンゴル軍は、1223年にはカルカ河畔でロシア諸侯連合軍と戦闘を行うなどしたのち、1225年にようやく帰国します。

 1226年にチンギス・ハンは、金と反モンゴルの同盟を進めていた西夏討伐の戦争を開始。翌年西夏は降伏しますが、金攻略の戦陣でチンギス・ハンは病死します。金王朝はチンギス・ハンの三男のオゴタイ・ハンにより1234年に滅亡。オゴタイ・ハンは1236年以降、現在のロシア、オーストリア、ハンガリー、ブルガリア地方に侵入し、各地で戦闘と虐殺を繰り広げます。

 1241年には有名なワールシュタットの戦いが行われ、ポーランド・ドイツを中心とした欧州騎士団の連合軍をモンゴル軍が殲滅、欧州は恐怖のあまり大混乱となります。この勝利でモンゴルは中央ヨーロッパに進出する機会を窺いますが、同年12月にオゴタイ・ハンが急死したことで遠征軍は帰国。欧州は蹂躙の悲劇を奇跡的に免れました。

「戦いの概念」を大きく変えたモンゴル軍の攻撃法

 ワールシュタットでは城に立てこもる欧州軍の前で、モンゴル側は弱い軍を戦わせ、負けたと見せて退却します。騙された欧州軍は、騎士団を追撃戦に投入しますが、モンゴル射手が待ち構える地点におびき出されて、雨のような矢を浴びせられます。煙幕がたかれ、後続と分断された騎士団は混乱のなか矢の雨で重傷を負い、そのあとにやって来るモンゴル重装歩兵の徹底殺戮を受けることになりました。

 ヤクの角と竹を合わせたモンゴル弓は恐ろしく強力で、兵士一人で60本もの矢を持っており、狩猟民族のモンゴル兵は騎馬で連射ができる弓矢の達人ぞろいでした。イタリアの修道士は、モンゴル軍の戦闘について次の指摘を残しています。

 「モンゴル軍は矢を注いで敵の人馬を殺傷し、敵の人馬が減少し切った後初めて肉迫戦闘に入った」(リデル・ハート『世界史の名将たち』より)

■モンゴル軍の戦略
・敵軍と距離がある場所から、驚くほどの矢を射込み続ける(攻撃準備砲撃)
・わざと退却するなど、相手が城から出てくるように誘導する
・追いかけてきた敵軍を矢の雨で囲み、傷ついたところを重装歩兵がとどめを刺す

 敵兵と斬り合う前に、モンゴル軍は集団で遠方から敵を十分痛めつけていたのです。また、モンゴルは10の家族の集団(十戸)、100の家族の集団(百戸)、1000の家族(千戸)ごとにリーダーを決め、民族全体を軍事制度に組み込んでいたことも大きな違いでした。

 この制度は行政と軍事を兼ねており、九五の千戸集団であるモンゴル全体が、いつでも遠征軍に出動し、一糸乱れぬ統率で、素早く戦争を始めることを可能にしました。

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