2014年9月に提携を発表したヤッホーブルーイングとキリン。設備投資に頭を悩ますクラフトビールメーカー他社を横目に、ヤッホーはこの提携で無限に近い製造設備を手に入れた。しかし、実はヤッホーは08年に一度、提携を断られていた。彼らはいかにしてキリンを口説き落としたのか。(「週刊ダイヤモンド」編集部 泉 秀一)
「うちとの提携をお願いできないでしょうか」
2013年11月下旬、ヤッホーブルーイングの井手直行社長は、東京・中野のキリンビール本社を訪れていた。
クラフトビール業界トップのヤッホーは、「よなよなエール」などの主要商品が全国に流通するにつれ、製造設備の限界が見え始めたことから、キリンと生産提携を結ぼうと考えていたのだ。
実はヤッホーは08年にも、キリンを含む大手ビール4社に製造委託を申し込んだが、全社から断られたという過去を持つ。
あれから5年、冒頭のようにヤッホーは13年末に再び、キリンを含む3社に提携を再提案したのである。
すると今度は、なんと全社から色よい返事を得ることができた。一転して選ぶ立場になったヤッホーは、キリンを選んだ。キリンは、自社でもクラフトビールブランドの「スプリングバレーブルワリー」などを持ち、大手の中で最もクラフトビールに注力していたからである。
「ビールのバラエティを増やし、もっと業界を面白くしたい」――。
両社の想いは一致し、14年9月、ヤッホーとキリンは提携を発表した。
ところで、キリンはなぜ一度断ったはずの製造提携を受け入れたのか。08年から13年の5年間に何があったのだろうか。