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クラフトビールは生き残れるか

地ビールブームの挫折からクラフトビールは何を学んだか

週刊ダイヤモンド編集部 泉 秀一
【第2回】 2016年6月10日
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小規模で醸造され、独特の味わいと香りが特徴にクラフトビール。2000年代後半から若者を中心に人気を集め、縮小を続けるビール市場の救世主として期待されている。だが、ひとつの産業として確固たる地位を占めるには、いまだ多くの課題がある。かつての地ビールブームや海外ビール市場との違いを分析しながら、クラフトビール業界が抱える問題をあぶり出す。(「週刊ダイヤモンド」編集部 泉 秀一)

 1995年、兵庫県神戸市に本社を構える衣料品商社のシャルレ社内で、ある新規事業が提案された。

 地ビールの販売――。95年は「地ビールブーム元年」と呼ばれた年である。94年の規制緩和以降、全国各地に小規模醸造所が続々と開設され、地ビールメーカーはブームに沸いていた。

 女性用下着で知られるシャルレも、そんな地ビールブームに乗じ、多角化経営の一環として95年に子会社チャルダを設立した。96年7月にはレストラン併設の醸造所を開設し、ついに地ビール事業への参入を果たした。

 レストランをオープンしたのは、当時、神戸港の公園として観光スポットとなっていたメリケンパークの一角。メリケンパーク内には、港町神戸のシンボルである神戸ポートタワーや、神戸海洋博物館があり、オープン当時、レストランは観光客を中心に賑わい、満席の日も少なくなかった。

 販売されていた主力商品は、企業名と地域名を組み合わせて命名された「チャルダ神戸地ビール」。フルーティな味と爽やかな味が特徴のウィートと呼ばれるスタイルのビールで、600~700円で販売されていた。

 96年の神戸は、前年1月17日に発生した阪神・淡路大震災からの復興に取り組んでいた時期でもある。地元名を冠したチャルダ神戸地ビールは、悲しみに暮れていた神戸の復興を盛り上げ、神戸市民の心に灯りをともし続けた。

わずか5年で撤退

 ところが、チャルダは事業としては成功しなかった。オープン当初は、観光客が物珍しさに店を訪れたが、時の経過と共に次第に客足が遠のき、醸造設備などの固定費が重くのしかかった。

閑散とするメリケンパーク内のチャルダの跡地では現在カフェが運営されている Photo by Hidekazu Izumi

 結局、オープン翌年の97年に撤退を決断。99年には神戸に続いて開設した横浜店も閉店し、ついに会社をたたむことになった。

 まさに、ブームと共に参入し、ブームの終焉と共に地ビール事業から撤退したシャルレ。だが、こうした例は決して珍しくない。むしろ、異業種企業や、「街おこし」を目的とした第三セクターの参入がブームを盛り上げたといっても過言ではない。

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クラフトビールは生き残れるか

近年ブームとなっているクラフトビール。縮小を続けるビール市場の救世主として、大手も参入し始めた。しかし、小規模醸造が信条のクラフトビールが装置産業のビール業界で生き残るのは極めて難しい。クラフトビールは日本で生き残れるのか。かつての地ビールブームが終焉に至った理由や海外ビール市場との違いを分析しながら、日本のビール業界が抱える問題をあぶり出す。

「クラフトビールは生き残れるか」

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