2000年代後半から注目を集め、ブームとなったクラフトビール。その立役者が「よなよなエール」などで知られるヤッホーブルーイングだ。一度は挫折を味わった彼らはいかにして復活したのか。ヤッホーが復活を遂げた理由を解説する。(「週刊ダイヤモンド」編集部 泉 秀一)
「プシュッ」。缶ビールを開けた時に響くあの独特の音。喉を乾かせたビール好きにとっては、たまらない音色だろう。
しかし、遡ること16年。ある男たちは、この音を聞く度、胸が張り裂けんばかりの悔しさを味わっていた。
ヤッホーブルーイング。「よなよなエール」などの商品で知られ、今やクラフトビール業界でトップをひた走る彼ら。だが、一時は倒産の危機に追い込まれていた。
1990年代中頃から火がついた地ビールブームは2000年頃に下火になり、全国各地で地ビールメーカーが続々と倒産していた。ヤッホーもブーム終焉の影響をもろに受け、倉庫には在庫の山が重なり、廃棄を余儀なくされた。
「缶ビールを1本ずつ手で開けて、排水溝に流した。缶を開ける音を聞くたびに悔しさがこみ上げ、涙も出なかった」。当時、営業を担当していた井手直行社長はこう振り返る。
その後も、酒屋や小売店に懸命に営業を続け、テレビコマーシャルはもとより、背水の「現金が当たるキャンペーン」まで実施するも、「全く相手にされなかった」(井手社長)という。
そもそもヤッホーは96年、親会社である星野リゾートの星野佳路社長によって設立された。星野社長が米国留学時代に飲んだエールビールがモデルとなり、「画一的な日本のビールに新たな風を吹き込む」のが狙いだった。
そのため、開業当初から“全国流通”を前提にし、流通しやすい缶での製造にこだわった。当時、他の地ビールメーカーは、瓶での製造ばかりで、地ビールメーカーとして缶の製造を行ったのは、ヤッホーが最初である。
つまり、ヤッホーは、“街おこし”の色が強い他の地ビールメーカーとは設立の背景が異なる。