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生活保護のリアル~私たちの明日は? みわよしこ

家族は猫1匹だけ、路上生活男性はなぜ再起を果たせたか?

みわよしこ [フリーランス・ライター]
【第58回】 2016年7月29日
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介護離職は、キャリアと収入の中断だけではなく、本人の老後まで続く深刻な影響をもたらす。年収1200万円の会社員は、介護離職によって困窮し、路上生活と生活保護を経験した後、どのように希望ある現在を手にしたのだろうか。

路上生活を経験した元エリート男性が、1匹だけの家族だった猫と一緒に夢見た未来とは(イメージ写真)

介護離職による生活困窮は
どこまで「自己責任」?

 今回は、前回に引き続き、介護離職・住居喪失・路上生活・生活保護を経験した高野昭博さん(61歳)の経験と思いを紹介する。今回は、高野さんの住居喪失から現在までと、今後に焦点を当てる。

 流通大手・ブランド企業の会社員として有能さと仕事熱心さを評価され、年収1200万円を得ていた高野さんは、39歳のとき、母親の介護に直面することとなった。当初は父親と介護を分担し、仕事と介護のギリギリの両立生活を続けていた高野さんだが、父親が病気で入院したことをきっかけに、45歳で退職せざるを得なくなった。過労死する同僚が珍しくない職場での激務は、両親の介護との両立が、まったく不可能だったからだ。しかし皮肉にも、高野さんが退職した直後に父親が他界し、介護を必要とする家族は母親1人になった。

 このとき、高野さんはほとんど苦労なく再就職を果たすことができた。年収は500万円へと大幅ダウンしたものの、母親の介護に理解があり、前職の職務経験を評価してくれる企業であった。しかし5年後、その企業の経営状況の悪化に伴い、再び失職。「動いてないとおかしくなっちゃう」という高野さんは、とにもかくにも求職と就労を続けたが、正社員の立場や十分な収入からは、遠ざかっていくばかりだった。

 そうこうするうち、高野さんが53歳になった2008年、母親が亡くなった。14年にわたる介護生活には、一応のピリオドが打たれた。しかし高野さんの前には、自分自身の生活困窮という問題が立ちふさがることになった。

 「仕事はずっと続けていたんですが、母が亡くなったときには、アルバイト的な仕事でした。手取り収入は、母の介護をしながらの就労で、月あたり10万円~16万円くらい。30年以上、両親と住んでいた借家の家賃は5万2000円でしたから、家賃を払うと、本当にギリギリの生活でした」(高野さん)

前回も紹介したとおり、その「ギリギリの生活」の中から、高野さんは母親の葬儀費用を捻出し、約100万円の質素な葬儀を営んだ。しかし納骨費用は捻出できなかった。それどころか、家賃の支払いも困難になっていった。

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みわよしこ [フリーランス・ライター]

1963年、福岡市長浜生まれ。1990年、東京理科大学大学院修士課程(物理学専攻)修了後、電機メーカで半導体デバイスの研究・開発に10年間従事。在職中より執筆活動を開始、2000年より著述業に専念。主な守備範囲はコンピュータ全般。2004年、運動障害が発生(2007年に障害認定)したことから、社会保障・社会福祉に問題意識を向けはじめた。現在は電動車椅子を使用。東京23区西端近く、農園や竹やぶに囲まれた地域で、1匹の高齢猫と暮らす。日常雑記ブログはこちら


生活保護のリアル~私たちの明日は? みわよしこ

生活保護当事者の増加、不正受給の社会問題化などをきっかけに生活保護制度自体の見直しが本格化している。本連載では、生活保護という制度・その周辺の人々の素顔を紹介しながら、制度そのものの解説。生活保護と貧困と常に隣り合わせにある人々の「ありのまま」の姿を紹介してゆく。

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