東日本大震災によりケータイのネットワークは各地で途絶し、特に東北地方では広いエリアでサービスが中断された。ケータイはすでに重要なライフラインとなっており、被災地の復旧活動のプロセスにも欠かせないインフラである。3.11の東日本大震災以降、ケータイはどのようにして復旧に向かったのか。また、今回の教訓をどのように生かそうとしているのかをレポートする。

基地局、伝送路の直接的被害だけでなく
停電への対応も必要

 2011年3月11日、自然の持つ圧倒的な力が街や港、農地を飲み込んだ。東日本を襲った地震と津波、そして原発事故。道路や鉄道は寸断され、電気やガス、通信といったライフラインも大きなダメージを受けた。ケータイのネットワークも同様である。

 ドコモの基地局について言えば、3月12日時点で全国6,720の無線局がサービスを中断。特に、岩手、宮城、福島の3県を中心に、広いエリアでケータイが使えない状態になった(図1)。

図1:東日本大震災の被害状況と復旧状況 3月12日時点で全国で6,720の基地局がサービスを中断。地震や津波による直接被害だけでなく、伝送路の断絶、長時間停電によるバッテリーの枯渇なども原因だった。ドコモは約4,000人の体制で復旧作業を実施。福島の原発周辺エリアを含めて、4月26日にはほぼ震災前のエリアに戻った。

 これほどの被害を受けたインフラの復旧は容易なことではない。しかし、被災地の復旧のためにケータイは不可欠の道具だ。安否確認はもちろん、行政サービスや支援物資の輸送、ボランティアの受け入れなど、あらゆる場面でケータイが求められる。そのライフラインを一刻も早く立て直さなければならない。

 断続的な余震が収まらぬなか、大規模なケータイ復旧活動を開始。全国各地から被災地に向けて多数の要員が集結した。ドコモでは約4,000人の人員を導入し、通信サービス回復に向けた作業に当たったという。現地では基地局など設備の復旧作業とともに、さまざまな緊急対策が実施された。

 通信が途絶した原因は、地震や津波により基地局が損壊・水没したことに加えて、伝送路の断絶、長時間停電によるバッテリー切れなどである。その原因によって対策は異なる。

 たとえば、バッテリー切れだけが原因の場合には、電源さえ確保できれば基地局や交換機といった設備の機能は回復する。そこで役立ったのは移動電源車である。

写真1:衛星エントランス搭載移動基地局車

 また、基地局と伝送路がともに被害を受けている場合には、衛星回線による通信機能を備えた移動基地局車を用意する必要がある。これは衛星エントランス搭載移動基地局車と呼ばれる(写真1)。被災自治体の市役所や町役場、避難所などの周辺には、こうした移動基地局車が配備され、早期のエリア復旧に貢献した。

 このほか、避難所や行政機関への支援として、ドコモは無料携帯電話2,100台、無料衛星携帯電話900台、タブレット端末670台を現地で貸し出し、被災者のコミュニケーションを支援。市役所や避難所などの410ヵ所には無料充電コーナーが設置された。

 福島第一原発周辺でのサービス回復も重要な課題だった。当初、原発の20キロメートル圏内はほとんど通信が途絶えていたが、4月前半に集中的に復旧作業を実施。福島第一・第二原発や事故対応の拠点であるJビレッジの周辺を含めて、4月半ばには事故対策のため要望の強かった福島第一原発付近および、原発へのアクセスルートである国道6号線のエリア化に成功した。ケータイは原発事故対策に欠かせないコミュニケーションインフラとして活用されている。

 5月27日現在、東北地方におけるドコモのサービスエリアは、震災前の約98%の水準まで復旧している。100%に戻ったとしても、それは災害対策の終わりを意味しない。今回の震災によるケータイのサービス中断は、逆にケータイがいかに人々の生活に密着したツールであるかを示す結果ともなった。被災地に限らず、利用者の大切な声やメッセージを一分一秒でも早く届けるために、もしものときでもつながるようにする取り組みが求められている。

 そんななか、ドコモは今回の大震災の教訓を生かして、「新たな災害対策」をまとめた。その中身については、次ページで説明しよう。