時計の針を9カ月ほど巻き戻した2月13日、ウィスコンシン州ジェーンズビルにあるゼネラル・モーターズ(GM)の組み立て工場を、全米の衆目を集める一人の政治家が訪れた。当時まだ米国次期大統領選挙の民主党候補選びでヒラリー・クリントン上院議員と激しい戦いを繰り広げていたバラク・オバマ上院議員(次期大統領)その人である。
予備選挙中のこのパフォーマンス、その狙いは、今から振り返ってみれば、意外なものであった。クリントン氏のみならず、民主党大物議員たちからの“経済無策”の批判をかわすべく、景気悪化の直撃を受けていた労働者階級の牙城でじかに、雇用対策などの経済対策を語り、支持を集めるためだった。
今でこそ経済を得意分野として演出しているが、オバマ氏は選挙戦序盤ではむしろ「経済音痴」と批判されていた。それが一転してアラン・グリーンスパンFRB前議長が言うところの「世紀に一度の(金融危機の)津波」から米国を守ってくれる救世主として国民の信任を得るに至ったのは、庶民の味方のイメージを強く印象付けた選挙キャンペーンのうまさもさることながら、ジョン・マケイン共和党陣営の自壊によって助けられた部分も大きい。
本選において、オバマ氏が、「ランドリー(洗濯物)リスト」と揶揄されるほどに経済政策の量で攻めたてたのに対して、マケイン氏は、共和党政権下で未曾有の金融危機が起きたこともあって経済政策で争うのは分が悪いと感じたのか、共和党本来の財政規律を重んじる「小さな政府」路線に終始し、得意分野の安保・外交の殻に閉じこもってしまった。7-9月期にGDP成長率がマイナス(0.3%減)に転じ、目に見えて景気が悪くなっている米国において、現状維持の路線で、国民の支持が得られようはずはなかった。
オバマ氏が選挙期間中、年収25万(約2500万円)ドル以上の富裕層を対象に増税すると公言しながらもなお圧勝できたのは、このまま共和党に任せていれば、亡国の道を歩むとの危機感が富裕層にすらあったからに他ならないだろう。