デビッド・パッカード

 カリフォルニア州パロアルトの賃貸ガレージから、デビッド・パッカードとビル・ヒューレットはシリコンバレーの最も息の長いIT企業の1つ、ヒューレット・パッカード(HP)社を立ち上げた。

 1930年代にスタンフォード大学でパッカードがヒューレットに出会ったとき、パロアルトで一番有名だったのはプルーンだった。パッカードが他界するまでの間に、そのパロアルトは世界で最も有名なハイテク地帯の中心的存在となり、パッカードが生み出した企業はシリコンバレーにおける中核的企業の1社となった。

 ゼネラルエレクトリック(GE)で働いたあと、1939年にヒューレットとチームを組んで、パロアルトのガレージで「発明家貸します」式の会社を発足させた。初年度の利益は1539ドル。これが1942年には、200万ドルになっている。

 1957年、パッカードは『HPウエイ』を書いた。これは企業を育てるのに必要な人事と経営の設計図だった。1970年代、同社はコンピュータに戦略的な方向転換を図り、1980年代を通して、IT企業の上位5社の地位を維持し続けた。

生い立ち

 1912年9月12日、中産階級の家庭に生まれたデビッド・パッカードはコロラド州プエブロで育つ。子どものころから、エンジニアになると心に決めていた。宇宙飛行士や消防士、あるいは医師や看護師になりたいという希望が最後には雲散霧消してしまう大方の子どもと違って、パッカードの場合はその目標からはずれることはなかった。

 パッカードはスタンフォード大学で学ぶ。友人で将来のパートナーになるビル・ヒューレットに出会ったのも、このスタンフォード時代だ。大学を卒業した1934年には、まだアメリカ全体が大恐慌から完全には立ち直っていなかった。

 パッカードは、電気工学専攻の学生に提示されていたわずかな仕事の中から選択して、GEで働くことにした。パッカードは修士号を取るために、マサチューセッツ工科大学でも学んでいる。

 1938年、パロアルトに戻り、ビル・ヒューレットとチームを組む。2人は独立して自分たちの会社を立ち上げることにした。