東京都議会議員選挙が民主党の歴史的大勝利に終わり、麻生首相が衆議院解散の日程を「予告」した。しかし、古賀誠選対委員長の辞任表明、反麻生派の「両院議員総会」開催要求など、自民党内の混乱は続いている。
首相は「公認権」「人事権」「解散権」を持って与党内を掌握するとされている。しかし、自民党内は麻生首相がこれらの権限行使に失敗したことで混乱している。
「小選挙区比例代表並立制」導入で
強力になった首相の権限
94年の選挙制度改革によって「小選挙区比例代表並立制」が導入された。その結果、首相が持つ「公認権」「人事権」「解散権」は強化された。「中選挙区制」時代、自民党は1つの選挙区に複数の候補者を擁立した。その中には森喜朗氏、渡部恒三氏など無所属として派閥の支援を受けて初当選を果たすケースも多々あった。
また、首相は派閥が提出した「推薦リスト」に基づいて内閣改造・自民党役員人事を行ってきた。そのため、自民党議員は当選や役職獲得のために、首相よりも派閥を重視し、「闇将軍」田中角栄など派閥のリーダーが首相よりも権力を持つ「権力の二重構造」が生じた。派閥はかつて海部内閣など、首相の「解散権」行使を阻止して内閣総辞職に追い込んだこともあった。
しかし、選挙制度改革で1つの選挙区で1人しか当選できなくなり、無所属での立候補は困難となった。その結果、首相の「公認権」は相対的に強まった。派閥の影響力低下により首相の「人事権」も強まり、派閥の推薦以外によらない「抜擢人事」が増えた。
そして2005年の「郵政解散総選挙」によって、首相の「解散権」行使も派閥が阻止できないことが明らかになった。更に、造反議員の公認剥奪と「刺客」擁立で、首相による「公認権」も最大限に行使された。
「人事権」の効力を失わせた
森元首相への根回し不足
それでは、麻生首相は「人事権」「公認権」「解散権」をどのように使ったか。「人事権」は、7月2日の内閣改造で行使されたが、兼務閣僚2名を補充しただけの小規模にとどまった。麻生首相は総選挙に向けて人気のある若手の党三役抜擢を検討したが、細田博之幹事長の清和会が猛反対して断念した。