ビジネスパーソンのあらゆる悩みに、時に厳しくユーモア溢れる回答を示す、楠木建氏の最新刊『好きなようにしてください』
本日よりその一部を、3回にわたって公開する。

 

大企業とスタートアップで迷っています
大学院生(24歳)
 24歳の大学院生です。現在、大企業とスタートアップのどちらに就職すべきか悩んでいます。つい最近まで、第一志望の日本を代表する大企業に内定をとることができ、そこに就職しようと思っていました。しかし、ある伸び盛りのスタートアップ企業でアルバイトを始めたところ、仕事が面白く、すっかりはまってしまいました。その会社からもぜひ就職しないかと誘われています。
 大企業に就職しても、面白い仕事はあると思いますが、希望の部署に配属されないリスクがあります。ただその一方で、最初からスタートアップに入るのは、自分の可能性を狭めるのではないかという不安があります。いまの日本では、大企業からスタートアップに行くことはできても、その逆は難しいので、まずは大企業で修行するのもいいと思っています。私はどちらに就職するのがいいでしょうか?

 

「環境」の比較は意味がない

 どうぞ好きなようにしてください。すなわち、(いまのところ)あなたが好きで気に入っている「伸び盛りのスタートアップ企業」で仕事をするべきです。

 これは「悪い意味でいい質問」の典型です。あなたは根本のところで間違っています。それは、自分の仕事を考える時に、「仕事」ではなく「環境」を評価しようとしているということです。仕事の中身やあなたにとっての仕事の意味合いではなく、仕事を取り巻く環境に注目して、ベンチャーと大企業とどちらがいいかを比べている。あなたのいまの考え方は「環境決定論」になっている。ここに非常に単純な勘違いがあります。

 仕事を選択しようとしている以上、仕事の内実が基準になるべきです。環境評価、環境比較にはたいした意味はありません。

 環境決定論の怪しさは、現実の世の中を生きている人々が日々身をもって証明しています。同じ環境にいるのに生き生きした人とそうではない人がいるのはなぜか。その人の個人としての仕事や生活の内実、すなわち内生的な要因のほうが、環境という外生的な要因よりよっぽど説明能力が高いのは明らかです。

 環境評価を内実に優先させてしまうという勘違いを説明する時に僕がよく使うのは、大学受験の合格率に注目した高校選択の例です。ここの高校はすごく東大の合格率が高いとか、あそこの高校は合格率が低いとか、受験シーズンになると「大学合格者数ランキング」を特集記事にする雑誌がいまだにあります。これはただの「環境評価」です。

 その学校の東大合格率と、そこであなたがどんな勉強をするかは、直接の関係はありません。もちろん、難関大学の合格者数が多いということは悪いことではありません。きっと優れた受験勉強の環境が整っているのでしょう。それはそれでいい。

 僕が問題にしているのは、内実と環境をすり替える愚です。言うまでもないことですが、結果の良し悪しを左右するのは環境ではなく、その人が実際にどういう勉強をしたのか、個人としてどの程度受験勉強の能力があるのかにかかっています。それなのに、進学する高校を選択する時に、よい環境に行くと半ば自動的によい結果が得られる(悪い環境に行くともうそれでよくないことになる)と思い込んでしまう。

 そういう人ほど物事がうまくいかなくなった時に弱い。「こんなはずじゃなかった。当てが外れた……」とか「うまくいかないのは自分の環境が劣悪だからだ……」というように、ことの成否を環境のせいにしがちです。いい時も悪い時も理由を環境に求める。これではいい時も悪い時も悪い方向に転がっていきます。