ハーバード・ビジネス・スクール(HBS)では、東北を訪れるフィールド・スタディ「ジャパンIXP(Immersion Experience Program)」を2012年より5年連続で開催しています。2014年にケース作成、15年にコンサルティングと、2年連続で本プログラムの参加学生を受け入れた、高級ニットメーカーの「気仙沼ニッティング」代表取締役社長 御手洗瑞子さんに、受け入れ当時の思い出を語ってもらいます。前編では、HBS生たちから受入先企業として受け取った一番のギフトがなんだったのか、が明らかに!(構成:堀香織、写真:疋田千里)

気仙沼ニッティングでHBSを受け入れる
きっかけともなった二人の出会い

ハーバード・ビジネス・スクール生から受け取った<br />気仙沼ニッティングにとって最上のギフトとは?御手洗瑞子(みたらい・たまこ)さんプロフィル/1985年東京生まれ。東京大学経済学部卒業。マッキンゼー・アンド・カンパニーを経て、2010年9月より1年間ブータン政府に初代首相フェローとして勤め、産業育成に従事。帰国後の2012年に宮城県気仙沼市にて、高品質の手編みセーターやカーディガンを届ける「気仙沼ニッティング」の事業を立ち上げ、2013年に法人化して代表取締役に就任。著書に『ブータン、これでいいのだ』(新潮社)、『気仙沼ニッティング物語』(新潮社)がある。好きなものは、温泉と日なたとおいしい和食。

御手洗瑞子(以下、御手洗) 繭加さんと知り合ったのは2013年のゴールデンウィークに、マッキンゼー(・アンド・カンパニー)出身の仲間5人で、3泊4日の屋久島旅行に行ったときですよね。

山崎繭加(以下、山崎) そうです。丸々2日間の山登りでね。ひとりは世界最年少で七大陸最高峰制覇のギネス記録を持っている元登山家だし、残りのふたりもトライアスロンをやっているスポーツマン、瑞子さんはブータンなどの山で鍛えられているなかで、私だけが歩いて30分ぐらいで筋肉痛が発生するような一般人で(笑)。2日間、地獄のような痛みと闘いました。

御手洗 (笑)そうだった!関西系の人が多くボケツッコミでみんなドッカンドッカン笑っているのに、繭加さんはずっと真剣な顔で2日間ほぼ無言で歩いていたので、「あまり笑わない人なのかな」と思っていたんです。ところが山を下りて、温泉のあとのお疲れ様会になったとたんに、繭加さんが急に明るくたくさんお話を始めて!

山崎 (笑)ずっと溜まっていたんですよ。山登りの途中で大好きな村上春樹の話題もでて、その輪に入りたいのに、体力も気力もなくて入れなかったから……。

御手洗 ちょうど『色彩を持たない多崎つくると、彼の巡礼の年』が出版された年で、感想をみんなで語り合っていたんですよね。でも、話のピークは1日前に過ぎてたのに、お疲れ様会でいきなり「昨日みんなが話してた、多崎つくるなんだけど……」って(笑)。「いつの話、するんですか!?」と、そこから打ち解けて。

山崎 その話がしたくてしょうがなかったんだもの。

御手洗 それで、帰りの飛行機でさらに仲良くなって。

“被災地”としか見ないメディアの不快さを
払拭してくれたHBSの真摯な姿勢

山崎 その数ヵ月後に、瑞子さんが経営されている「気仙沼ニッティング」でハーバード・ビジネス・スクール(HBS)の学生が東北を訪れるフィールド・スタディ「ジャパンIXP」の受け入れをお願いできないか、相談させていただきました。

御手洗 2014年1月に初めて受け入れた時のことは非常によく覚えています。あの時のHBSのチームは本当に素晴らしかった。趣旨が「ケース作成」だったこともあって、相手を深く理解しようという姿勢がとても強かったんです。

 それまでも、ありがたいことに気仙沼ニッティングは取材を受ける機会はよくありました。でも、メディアの方とのすれ違いを感じることは多かった。

ハーバード・ビジネス・スクール生から受け取った<br />気仙沼ニッティングにとって最上のギフトとは?山崎繭加(やまざき・まゆか)さんプロフィル/元ハーバード・ビジネス・スクール(HBS) 日本リサーチセンター アシスタント・ディレクター。マッキンゼー・アンド・カンパニー、東京大学先端科学技術研究センターを経て、2006年から10年間にわたりHBS日本リサーチセンター勤務。主にHBSで使用される日本の企業・経済に関するケース作成、東北を学びの場とするHBSの2年生向け選択科目ジャパンIXPの企画・運営に従事。また、特任助教として東京大学医学部にてグローバルヘルス・アントレプレナーシップ・プログラムの運営・教育に関与。東京大学経済学部、ジョージタウン大学国際関係大学院卒業。

山崎 すれ違い?

御手洗 ええ。私たちは「一時的な復興支援を超えて、働く人が誇りを持てる会社としてこの地に根付いて続いていく」というビジョンを持ち、チャリティで買ってもらうものではなく、お客さまに本当に喜んでいただけるものをつくろうと日々研鑽していました。メディアにも、そのことを一番にお伝えしたかった。

 でもメディア側はというと2013~14年当時でも、「震災が起こった時は、皆さんはどこにいらしたんですか?」「やっぱり編んでいると気持ちが落ち着きますか?」「震災のことをいまでも思い出しますか?」といった震災がらみの質問ばかりするんです。編み手さんに対しても、たとえば近しい人を亡くしたり家を失ったりと、ものすごくパーソナルで辛いことなのに、土足で踏み込むような聞き方をする。そして、こちらがどんなに真摯に事業への思いや取り組みについてお話をしたところで、結局「被災地で起業して…」という見出しと内容で終わってしまうんです。誤解を恐れずにいえば、「震災」という経験を消費しようとしているようにも見えた。

 一方、海を渡ってやってきたHBSの学生さんたちは、気仙沼ニッティングを徹底して理解しようと深く耳を傾けてくれました。私に話を聞くだけでなく、一緒に創業した糸井重里さんにも話を聞きに行っていましたし、お客様にも会い、うちの編み手さんたちの話も聞いてくれて。とにかく、すごく丁寧に取材してくれたんです。

山崎 聞く姿勢が素晴らしかった、というのは多くの方から異口同音に言われました。