燃費不正問題で経営不振に陥っている三菱自動車の新体制が固まった。1999年に倒産寸前だった日産自動車に派遣されたルノー出身のカルロス・ゴーン日産会長兼社長が、自ら三菱自の陣頭指揮を執り再建に挑む。ゴーン氏は三菱自を「リバイバル」させることはできるのか。すでに、ゴーン流の改革は始まっている。(「週刊ダイヤモンド」編集部 浅島亮子)

 日産自動車は、傘下に収める三菱自動車の新経営体制の布陣を決めた。カルロス・ゴーン日産会長兼社長(62歳)が会長に就任し、益子修・三菱自会長兼社長(67歳。三菱商事出身)は引き続き社長として留任する。

 うその上塗り──。8月末、三菱自が燃費不正の発覚後にも、都合の良いデータだけを選んだ不正な測定方法を取っていたことが明らかになった。もとよりゴーン氏からの信任が厚い益子氏だが、さすがに日産・三菱自社内で経営責任を問う声が高まった。極め付きは、所管する石井啓一・国土交通相が怒り心頭に発していたこと。この時点で、「益子続投」は消えたかのように見えた。

 だが、端的に言えば他に“役者”がいなかった。別の思惑から、日産と三菱自の経営陣は共に益子氏留任を望むようになっていた。

 日産側は、「益子さんが辞めると、残された社長候補は白地さん(浩三副社長。三菱商事出身)しかいない。交渉事を進めるには線が細い印象だ」(日産幹部)。

 三菱自側は、「最初は益子さん辞任もやむなしとも思ったが、どうせ日産から乗り込んでくるのならば、ナンバー2の西川廣人・日産副会長ではなく、格上のゴーン氏に来てほしい。ゴーン氏と渡り合えるのは益子さんだけだ」(三菱自幹部)。

 当の益子氏本人の心中はどうだったのか。

「自身は中興の祖と呼ばれてもおかしくない働きをしたのに、最後に裏切られたというじくじたる思いがあったはず。でも、8月の一件から後は、自分を完全に押し殺して淡々と仕事をこなしていた。三菱グループ主導の再建で(三菱自の)自浄作用が働かなかったのならば、この際、日産を利用してやろうと割り切っているようにも見えた」(別の三菱自幹部)

 実際に、最近の三菱自の取締役会でも、活発に発言することが多い山下光彦副社長(日産出身)の意見にじっと耳を傾けていることが多かったという。

ゴーン会長就任で始まる三菱自動車「植民地化」カルロス・ゴーン日産自動車社長(左)からの慰留を受け入れた益子修・三菱自動車「社長」。外部の血で、地に落ちたブランドは再生できるか Photo by Akira Yamamoto

 10月20日、日産は三菱自株式の34%の取得を正式に決めた。同時に、ゴーン氏による慰留のラブコールを受け入れるかたちで、益子社長続投が決まった。

 今回の日産傘下入りで三菱自への影響力が弱まる三菱グループ3社(三菱商事、三菱東京UFJ銀行、三菱重工業)は、“餞別”として日産側に最大限の配慮を忘れなかった。

 まずは、燃費不正に伴う将来的な損失をさらに積み増して、きっちりと損切りをしたこと。この下方修正により、2017年3月期通期決算では営業損失280億円と、12年ぶりの営業赤字へ転落するのだが、「この下半期以降は営業黒字。日産による再建下ではV字回復するシナリオになっている」(三菱グループ関係者)。