バブル退治のために平成元年(1989年)末、矢継ぎ早に打たれたさまざまな施策は、いずれも効果は大きかったものの、“やり過ぎた”側面も大きかった。後に「失われた10年(20年)」と呼ばれる大不況につながっていった、平成元年末の国の方針転換を改めて振り返ってみよう。

バブル退治の「バズーカ砲」が
効きすぎた

 1989年12月末は、株価が史上最高値となる3万8915円87銭を付けた。バブルのピークとなった月である。社会的な関心ごとは特に、土地を持てるものと持たざるものとの埋めがたい格差に向かうようになった。

山一證券を潰した「たった1枚の通達」の威力平成元年末に相次いで打ち出されたバブルつぶしに向けた政策によって、1990年代に入ると日本は歴史的な不況に突入することとなった。たった1枚の大蔵省(当時)局長名通達が、後になって4大證券の一角である山一證券の自主廃業につながるなど、これらの政策の威力は絶大だった。 Photo:Kaku Kurita/AFLO

 実際、土地や株の暴騰や、カネ余りなどを抑える、いわゆるバブル退治のための「バズーカ砲」がこの月に続けて放たれている。

 通常なら国民的な反対が起きそうな、「痛み」を伴う政策なのだが、このときの世間は、暗黙の了解の意思表示なのか、あるいは政策への期待の薄さからなのか、静かだった。結果として、この月に株価も土地もピークとなったのであるが、何のことはない、政府が寄ってたかって引きずり下ろしたのである。

 まずは、地価対策。12月22日に土地基本法が公布・施行された。この法律は、それまで曖昧であった国の土地政策の理念が書かれており(だから基本法と名付けられている)、この法律を基に、さまざまなバブルつぶしが行われることになった。

 その理念の中身を見てみよう。同法第1条で「適正な土地利用の確保を図りつつ正常な需給関係と適正な地価の形成を図るための土地対策を総合的に推進し」と、地価対策であることを宣言し、「土地については、公共の福祉を優先させるものとする」と、優先順位を付けた。そして4条でトドメを刺すように「土地は、投機的取引の対象とされてはならない 」と謳っている。

 この理念を通じて出てきたのが、固定資産税とは別に、土地所有に税金をかける国税である地価税創設、金融機関へ不動産融資の総量を増やさないよう求める大蔵省(当時)銀行局長通達(いわゆる総量規制、90年3月)、課税強化を目的とした各種地価評価額の引き上げなどである。