経済現象の真理解明に生涯をささげた大経済学者たち。時に先陣争いを繰り広げ、また論敵との激論に臨み、経済学史にその名を残した。本当にあった驚きのバトルを振り返ろう。(週刊ダイヤモンド2015年9月26日号特集「やっとわかった! 経済学」より。)

マルサスVSリカード
自由貿易か保護貿易か
小麦の輸入で大激論

 「経済学の父」アダム・スミス以降の英国古典派経済学者といえば、トマス・マルサス(1766~1834年)とデヴィッド・リカード(1772~1823年)が代表的な存在だ。

 マルサスは『人口論』(1798年)で現在でもよく知られている。ケンブリッジ大学で数学などを学び、卒業して5年後に教職に就いた。1805年以降は東インド会社に付属する官僚養成学校で経済学教授を務める。

 一方、リカードは14歳から20歳まで証券仲買人(証券会社)だった父の下で働き、21歳で結婚。独立した後、証券業界で頭角を現した人物だ。金融ビジネスの現場にいたから、当初マルサスとリカードはまるで違う人生を歩んでいた。

 しかし、スミスの『国富論』を読んで経済学に目覚めたリカードが1809年に論壇でデビューし、民間の経済学者として世に出ると2人は生涯の論敵となる。

 最も有名な論戦が、「穀物法論争」だ。1815年にナポレオン戦争が終わると、1806年にフランス皇帝ナポレオンが英国を経済的に孤立させようと敷いた大陸封鎖令が解除された。これにより、英国に大陸から穀物が輸入されることになる。

 そこで英国議会は穀物法を施行し、輸入を制限することにしたのだが、この法律の是非をめぐって論戦を繰り広げたのだ。

 フランスの大陸封鎖令は英国にとって保護貿易の手段ともなっていた。しかし輸入が再開されて安い小麦が国内市場に入れば、小麦価格が下落してしまう。それを恐れた地主貴族が小麦輸入の制限を訴え、穀物法を通した。

 ところが産業革命で力を付けていた産業資本家は施行された穀物法に反対し、その廃止を訴えた。食費が上がるのはかなわない、というわけだ。

 マルサスは地主貴族の立場に立つ。産業資本家が作った生産物を購入するのは地主、労働者と農民。小麦価格が下落すれば地主らの所得が減るから、産業資本家の商品の需要も減ると主張した。また、食糧安全保障上も国内生産を維持する必要があるという。

 反論するリカードは産業資本家側に立った。食費が上昇したら資本家は労働者の賃金を上げざるを得なくなる。資本家の利潤が減ったら、産業革命のための資本蓄積が進まなくなる、と主張した。1817年には『経済学および課税の原理』を出版し、貿易国がそれぞれ相対的に得意な物の生産に特化して交易すれば、双方とも豊かになるという比較優位説を展開してもいる。

 つまり、マルサスは保護貿易を、リカードは自由貿易を訴えたのだ。

 リカードが早世するまで論戦は続いた。ただし、2人は論敵であると同時に親友にもなっていた。そこには、学者としては幸福なライバル関係があったといえる。

Illustration by Akira Nakayama