「100年に一度の大変革期」ともいわれる現在、技術の進化や市場環境の変化は急加速し、競争環境はますます厳しさを増す。経営判断の時間軸は極端に短くなり、舵取りも困難を極めるようになった。

岐路に立たされた際、経営者はどんな決断を下すべきなのか。そんな時、一つの道標となりうるのが、日本企業がこれまで歩んできた過去の歴史である。第2次世界大戦、オイルショック、バブル崩壊、リーマンショック、東日本大震災……さまざまな苦境を克服してきた企業経営者から教訓を得る意味は大きい。

賢者は歴史に学ぶ。大変革期を乗り越えるために何を学び、どう自己変革できるか──そんな問題意識の下、2025年4月17日にダイヤモンドクォータリー特別セミナー「歴史に学ぶ大変革期の経営」(PwC Japanグループ共催)が開催された。

本セミナーでは、経営史の専門家、国際大学学長の橘川武郎氏が「稀代の企業家たちに見る成長ダイナミズム」と題し、歴史に残る名企業家2人にフォーカスして講演した。また、AGC副社長の宮地伸二氏は「ガラスメーカー旭硝子から素材メーカーAGCへ~創業者の理念を受け継ぎ、時代の変化に合わせて進化するAGCの挑戦と軌跡~」と題して100年以上に及ぶ同社の歴史の中で、果敢に事業ポートフォリオ変革に挑んだ軌跡を紹介した。

その後、「22世紀まで必要とされる企業となるために」というテーマで橘川氏、宮地氏によるクロストークで議論を深めていった。本稿では、橘川氏、宮地氏の講演ならびにラップアップセッションについてレポートする。

「稀代の企業家」
松永安左エ門と出光佐三

 近代日本では数々のイノベーターが存在した。国際大学学長の橘川武郎氏が注目する「稀代の企業家」は松永安左エ門(1857〜1971)と出光佐三(1885〜1981)である。いずれも、日本のエネルギー産業を変えた人物だ。

 のちに「電力の鬼」と呼ばれる松永は、独自のビジネスモデルを構築していた。橘川氏はこう説明する。

大変革期の経営は歴史から学ぶ国際大学 学長 東京大学/一橋大学 名誉教授
橘川武郎 氏

1975年東京大学経済学部卒、1996年博士(経済学、東京大学)取得。専門は、日本経営史、エネルギー産業論、地域経済論。経済産業省・資源エネルギー庁関係の審議会の委員等を歴任。出光興産の社外取締役を務める。著書に『イノベーションの歴史』(有斐閣、2019年)など多数。

「松永が電力会社を経営していた1910年前後、電力需要のピークは夜の長い冬でした。電力は主に照明用や暖房用に使われたからです。一方、供給サイドは水路式水力発電が中心で、水量と発電量が多いのは夏。多くの電力会社は冬のピークに合わせて水力発電設備に投資しましたが、夏には電力が余り、コストが上昇します。これに対して松永はコストの最小化を目指して、夏の少ない需要に合わせて水力発電を用意し、冬に足りない分を火力で補おうと考えました」

 これが水火併用モデルであり、民有民営の電力会社が、企業努力によって、低廉で安定的な電気供給を行うことを目指したのである。

「電力は典型的な公益事業であり、欧州では国営が主流でした。戦争の一時期を除いて民営主体が続いていることは、日本の電力産業の大きな特徴です」と橘川氏。水火併用と需要家重視のビジネスモデルに加え、資金調達面での革新など松永の実践した科学的経営を評価する。

 松永の10年後に生まれたのが出光佐三である。出光のエピソードとして最も有名なのは日章丸事件だろう。1953年、戦勝国イギリスの石油メジャー「アングロ・イラニアン」社(のちのBP社)の支配下にあったイランが石油の国有化を宣言したのに対し、イギリスは軍艦を派遣し、イランから石油を買い付けるタンカーは撃沈するという警告を発したにもかかわらず、出光はタンカーをイランに送り、大量の石油を直接輸入したのだ。

 戦前、日本石油(現ENEOS)の特約店として事業を立ち上げた出光は、満州をはじめ海外に積極的に進出していた。戦後はほぼゼロからの再出発ながら、石油メジャーに挑戦し、政府規制に対抗して事業を拡大した。

「日章丸の件は、消費者本位という理念から導かれた行動でしょう。また、戦前は政府の石油統制に反対し、戦後は政府による消費地精製方式の押し付けに抵抗しました」と橘川氏。巨大な相手に正面から立ち向かい、みずからリスクを取った出光の革新性はいまも色あせていない。