ジュンク堂書店池袋本店横の「東(あずま)通り」を入って約5分。
すごい若く綺麗な女性が集まる「天狼院書店」がある。
たった15坪の書店なのに、「本屋にこたつがある!?」と話題になり、開店わずか3年で153件のマスメディアに取り上げられた。
なかでも、店主の三浦崇典氏は『AERA』の「現代の肖像」にも登場した。ただ、その起業のきっかけが、1冊の本だったというから驚きだ。
その1冊とは、稲垣篤子著『1坪の奇跡』。
たった1坪、「羊羹」と「もなか」の2品で年商3億円。吉祥寺ダイヤ街で40年以上行列が途絶えない奇跡の店があるという。
どんなお店なのだろうか? 三浦氏に語ってもらった。
「なければ頭を使えばいい」
1977年宮城県生まれ。株式会社東京プライズエージェンシー代表取締役。都内書店スタッフを経て、手元資金がない中で2013年9月に天狼院書店をオープン。以降、天狼院書店店主。天狼院書店を展開する中で、雑誌「READING LIFE」編集長、劇団天狼院主宰に就任。映画『世界で一番美しい死体~天狼院殺人事件~』では監督・脚本・製作総指揮を務める。ライター・編集者。著者エージェント。大正大学表現学部非常勤講師。天狼院書店は、オープン後、多くのメディアに取り上げられる。その数、マスメディアだけでも3年間で実に153件。NHK「おはよう日本」、日本テレビ「モーニングバード」、BS11「ウィークリーニュースONZE」、ラジオ文化放送「くにまるジャパン」、J-WAVE、NHKラジオ、日経新聞、日経MJ、朝日新聞、読売新聞、東京新聞、雑誌『BRUTUS』、雑誌『週刊文春』、雑誌『AERA』、雑誌『日経デザイン』、雑誌『致知』、雑誌『商業界』など掲載多数。2016年6月には雑誌『AERA』の「現代の肖像」に登場。天狼院書店は現在、急速にその店舗数を拡大している
起業すると月末が近づくに連れて、絶望的な気持ちになってくるものだ。一人、風呂に浸かり、幾度となく通帳を思い返しても、金の算段がどうにもならない。そんなとき、ふと脳裏から浮き上がる言葉があった。
「なければ頭を使えばいい」
無意識につぶやくと、気分がぐっと楽になる。
その言葉は、吉祥寺「小(お)ざさ」代表稲垣篤子氏の著書『1坪の奇跡』の中にあった。
「事業でもなんでも、事を始めるときに大方の人は、『資金や設備がないからできない』と言う。潤沢に揃えてからする事業なら、誰でもできる。なければ頭を使えばいい」(本書106頁より)
そう、なければ頭を使えばいいんだ、潤沢に資金があっての起業のどこが面白いんだ、と自らを鼓舞し、ようやく、冷めた風呂から出るような日々を重ねた。
僕は大学を出ているわけでも、大手企業に勤めた経験があるわけでもなかった。
僕の時代は、今のように人手不足でもなく、むしろ不景気で就職氷河期と言われた時代だった。20代のほぼ全部を小説を書くのに費やし、書店でのアルバイトしか経験がなかった僕を、雇ってくれる企業などどこにも存在しなかった。
仕方なく、僕は、起業した。
社会のために役に立とうなどという高尚な考えなどなかった。有り体に言ってしまえば、生き残るために起業したのだ。
40年間行列が途絶えないお店
そのときに、1冊の本と出合った。
それが吉祥寺「小ざさ」について書かれた『1坪の奇跡』だった。
吉祥寺「小ざさ」と幻の羊羹については、幾度となくメディアに取り上げられているので、多くの方がご存じかもしれない。
その羊羹を求めて全国から人が集まり、40年間行列が途絶えたことがないという。
吉祥寺「小ざさ」は、本当に店舗の広さが1坪しかない。それで、実に3億円以上を売り上げているという。
起業して、最初の起業資金を綺麗さっぱりとなくしてしまい、借金だけ残されていた僕にとって、この本は最後の希望のような本だった。
豊かな社会の中で、一人、戦場にいるように生き残ろうともがいていた僕に、この本の中の言葉が、突き刺さった。突き刺さり、心まで染み込んできた。
父であり、日本屈指の天才アントレプレナーである伊神照男氏の背中を必死で追いかけた小さな少女は、朝8時から夜8時まで、365日一日の休みもなく、身動きも取れないほどの狭い店で和菓子を売り続けたと言う。
彼女の肩には、一族16人の生活がかかっていたからだ。
泣くのをこらえながら彼女が働く理由は、実にシンプルだった。
生きていくためだった。家族の生活を支えるためだった。
その小さな少女こそが、現在の吉祥寺「小ざさ」代表稲垣篤子氏(84)だった。
働くということに、もしかして、僕らは多くの意味を与えようとしすぎなのかもしれない。古来から人間はほとんどの時代を、生き残るために働いていたはずだった。
ところが、生き残ることが難しくなくなった豊かな現代、このシンプルな原理を、多くの人が忘れてしまったのかもしれない。
自由のために働かなければならない。
人のために働かなければならない。
そんな空気が、爛熟した社会にまるで腐敗臭のようにはびこってしまったのかもしれない。