「引きこもり」界において、ある種の“カリスマ”的存在だった1人の父親が、3月2日朝、亡くなった。
日本最大の家族会組織である「全国引きこもりKHJ親の会(家族会連合会)」代表の奥山雅久さんだ。
享年66歳。死因は、肺がんだった。
3月6日夕方、埼玉県さいたま市岩槻区の新成寺で行われた通夜に参列して、いろいろな思いが頭を駆け巡った。
アットホームな雰囲気の通夜会場
それとは裏腹に壮絶だった“生きざま”
朝は冷え込んだのに、日中は春の兆しを感じさせるような、陽気の穏やかな日だった。通夜に向かう途中、赤々とした巨大な陽が落ちていくのを見て、1つの時代が終わったんだなという、やるせない思いに涙がにじむ。
奥山さんは10代の頃、すでに骨肉腫を発症して、左足を切断せざるを得なかった。
その後、広告業界の会社に入社。よく車で川っぱらの土手まで出かけ、夕陽を眺めていた。昔、そんな話をしてくれたことをふと思い出す。
通夜の会場は、懐かしい顔の家族や当事者、支援者らも集まって、さながら“奥山ファミリー”の同窓会のような感じになった。本人がこの場にいたら、さぞかし、ところ狭しと杖をつき、はしゃぎまくったことだろう。
しかし、ほのぼのと会場を包んだアットホームな雰囲気とは裏腹に、奥山さんの“生きざま”は壮絶だった。
“引きこもりの親”として
当事者や家族の苦悩を世に知らしめた第一人者
奥山さんは、自らが“引きこもりの親”として実名で顔をさらし、全国を渡り歩いて、各地で家族会を立ち上げた。その一方で、あまり認知されていなかった「引きこもり」本人や家族の苦悩を世に知らしめ、理解と支援を訴え続けてきた結果、国は2度にわたって「引きこもり対応ガイドライン」を策定し、実態調査を行うまでに至った。
筆者が初めて、奥山さんと会ったのは、10年以上前にさかのぼる。