銀行の「貸し渋り」「顧客本位」を金融庁は改善できるか日本の場合、金融機関と顧客の間には融資に関する認識の相違がある

 今年の夏は、15年に就任した森信親金融庁長官がこの夏も留任して3期目を迎えるかどうかが非常に注目されている。森氏は、もともと検査、監督の両局長時代から金融行政の見直しを進めてきており、とりわけ昨年10月に公表された「金融行政方針」では、「日本型金融排除」と「フィデューシャリー・デューティー」という言葉が目を引いた。

 麻生太郎金融相は年初の全国銀行協会の賀詞交換会であいさつし、3メガバンクのトップらを前に「金貸しが金貸さないでどう商売するのか」「国民の金融資産を託された機関投資家には投資先企業との対話を求め、金融事業者には顧客本位の業務運営を求める」と新年から"麻生節"を繰り広げたが、これはまさに上記2つのキーワードを意識したものだ。

 これらのキーワードは、連載第75回で取り上げた東京都の小池知事が進めている「国際金融都市・東京」構想と深く関係する概念でもある。なお紙数の関係で、今回は主に日本型金融排除を中心に論考し、フィデューシャリー・デューティーについては簡単に述べるに留めるが、これは極めて大きなテーマであるので、稿を改めて詳述したい。

2つの深刻な問題をはらむ
「日本型金融排除」とは

 日本の場合、金融機関と顧客の間には融資に関する認識の相違がある。

 銀行側は、「融資可能な貸出先が少なく、そういう先に対する銀行間の金利競争も激しいので、無理に貸しても採算が取れない」という見解であり、結果的に、麻生大臣に何を言われようとも「融資可能な先には十分に資金を供給している」という言い分になる。

 一方の顧客の側の言い分は、「銀行は担保と保証がないと貸してくれない」というものであり、十分な担保や保証がある先や、非常に高い信用力がある先以外に対しての銀行の貸し出し態度は厳しいという認識が根強い。また、よく「晴れの日に傘を貸して、雨の日に取り上げる」と言われるように、銀行は業績不振になると掌を返したような対応を取ることも良く知られている。