昨年末、私は、NHKドラマ「坂の上の雲」の主人公が生まれ育った愛媛県・松山で学会があり、行く機会を得た。大阪から松山への移動は、伊丹空港から松山空港へという空路を利用した。出発当日、伊丹空港に到着した私がふと便名を表示した掲示板を見上げると、赤文字が書かれている。受付カウンターで内容を確認すると「松山空港は突風が吹いており、着陸困難な場合、引き返すことがあります」とカウンターの女性職員が説明してくれた。

 学会の小宴が夕方から始まる。もし引き返すことになれば、それにも間に合わない。せめて夕方までに到着したいが、新幹線で行くのは不便だと思いながら私は「まず引き返すことはないですよね?」と問いただすようにその女性職員の顔を覗き込んだ。「キャンセルしていただければ返金できますが。そうですね…」と答える女性職員の顔の口元が緩むところを確認した私は、搭乗口へ向かった。

 待合カウンターからプロペラ機へ向かうバスの中で、かつて私が勤めたT病院の元上司が同乗されていることに気づき、ご挨拶をした。

「先生、ご無沙汰しております。先生もクリニカルパス学会へ行かれるのでしょうか」と問う私に「そう。でも先生こそ。なぜ」との問いに「ランチョンセミナーの講師で呼ばれたんで」とお答えし、それぞれ指定された座席シートについた。その後まもなく飛行機は飛び立った。

 松山に近づくにつれ、飛行機の揺れに不安を覚えたが、かつて頼りにしていた外科の先輩が同乗されていたこともあってか、気丈でいられた。松山空港への着陸に向け、海岸線を横目に高度を下げた機体は、着陸態勢に入っていった。その数秒後、突然、機体が左右に大きく揺れ、その後まもなく機体は急上昇した。機内アナウンスで「もう一度旋回して着陸態勢に入ります」と機長の言葉。無理はしないでほしい、でも、なんとか無事に着陸してほしいという、治療を受ける患者のような思いをパイロットに願った。幸い2回目で何とか無事着陸に成功。飛行機からタラップへ出ると突風が吹きぬけ、コートがまくれ上がる。こんな風でよく着陸できたものだとパイロットの腕に感謝した。そして今回の着陸した機長の仕事ぶりに、なぜかしら親近感を私は覚えた。

 タラップを降りた私は前を歩く先輩の背から、「何とか無事につきましたね」と声をかけると「松山空港は一度落ちているからな」とびっくりするような答えが返ってきた。

 ホテルに向かうタクシーの中で私は、確か私が幼いころ松山空港で着陸に失敗したYS11機で多くの新婚カップルが犠牲になったことを思い出していた。それと同時に、航空機事故のクリティカル11ミニッツは離着陸時のパイロットの腕にかかっている時間帯、そして今回のクリニカルパス学会も医療のリスクや標準化医療の可視化を目的としていたことを考えていた。