調査団は今中と私の他、広島大学大学院准教授の遠藤暁、公害史が専門の國學院大学教授の菅井益郎の4人。28日の朝、東京を出発する際に今中から渡されたのは、「ポケット線量計」だった。放射線作業従事者や原発作業員が身につける、被曝量をチェックするための計器だ。

線量率を計測する今中助教
Photo by Masuo Sugai

 道中でも線量率を計測しながら、福島市を経由して村に着いた時はもう夕方近かった。村長への挨拶と説明もそこそこに、予備調査のため役場を発った。南下するにつれ今中の手にするサーベイメーター(放射線の空間線量率を測る計器)の数値が上がっていく。「10マイクロ、11、15……、計測不能!」。今中が叫んだ。その時彼が手にしていたサーベイメーターでは、毎時19.9マイクロシーベルトまでしか測れないのだ。

同心円状の区域設定は無意味

 この日は村内に宿泊し、翌日は朝から車で南北、東西に村内を走りながら、空間線量率を記録していった。測定箇所は全部で140ヵ所。ほぼ村内全域を網羅した。うち5ヵ所では含まれる放射性物質を調べるため土壌も採取した。最も値の高かった村南部の測定ポイントでは、路上で毎時24マイクロシーベルト、畑の上では同30マイクロシーベルトにも達した。

 30日に東京に戻り調査チームはいったん解散したが、広島大学の遠藤は早速持ち帰ったデータ、サンプルの解析に取りかかった。金曜日には解析があらかた終わり、その情報を村に伝えるとともに、対策を検討した。

村の汚染状況を表したマップ
(調査チームレポートより)  拡大画像表示

 飯舘村の汚染は予想以上に深刻だった。村南部における3月15日からの屋外累積被曝量は、1ヵ月で50ミリシーベルト、3ヵ月で100ミリシーベルトまで達すると予想された。ずっと屋内に居続けたとしても、木造ならその半分程度は浴びることになる。放射線業務従事者の年間被曝限度を3ヵ月で上回ることになる。ここは原発から30kmの屋内待避圏の外側で、30km圏はむしろそれよりも低い値だった。30km圏の同心円状の線引きが、実態を反映していないことは明らかだった。