福島原発がチェルノブイリ並みのレベル7の事故を起こし、今年はもうインバウンドは無理だと思われるかもしれないが、じつは意外と健闘している地方自治体と観光関連の方々が多い。4月に入ってから1週間近く海外出張したが、中旬に日本に戻ってから丸2週間ほぼ毎日のように観光関連のテーマに明け暮れていた。そのため、懐かしいところを何カ所かまわった。
今から四半世紀前の1985年に来日した私は、まさか自分が日本に永住するとは予想していなかった。だから、期間が限られた日本滞在中に、できるだけ日本各地を自分の目で見ておこう、特に自分が翻訳した作品の舞台を是が非でも見ようと意気込んでいた。
来日早々、熊本県の天草、長崎県の島原、雲仙を旅し、小雨の降るなか長崎市に入り、オランダ坂に立った。これらの場所を選んだ理由は、菊田一夫が書いた『君の名は』を翻訳したからだ。つまり、岸恵子演じる小説の主人公真知子の足跡を追いかけたのだった。
時間が経つのは早いものだ。あっという間に25年が過ぎ去ってしまった。25年ぶりに島原、雲仙と長崎を再訪し、オランダ坂に立つと胸の高まりを覚えた。特に、雲仙の記念館で『君の名は』の写真を目にした時、1980年代初めに上海で『君の名は』の翻訳に打ち込んでいた日々を思い出し、感慨深いものが胸を去来して感傷に浸った。
最初に翻訳したのは『君の名は』の小説ではなく、映画シナリオだった。外国文学専門誌「訳林」1983年第1号に掲載された。改革・開放時代を迎えたばかりの中国では、外国文学、とくに近隣国である日本の文学作品が熱狂的に受け入れられた。雑誌は数度も増刷を重ね、70万部刷られた後、編集部は読者のあまりの熱狂ぶりに、逆に保守的な指導部から睨まれてしまうのではと怖くなり、それ以上の増刷部数を公表しなくなった。読者の反響に鼓舞され、やがて小説『君の名は』の翻訳に取り組んだ。ただ残念なことに当時は原稿料制で印税制度が実施されていなかった。だから、本がどんなに売れても、私の懐が膨らむことはなかった。