東日本大震災の歴史的位置

 歴史の教えるところによれば、大災害は、その時代の政治や経済、社会が抱える矛盾や本質を露呈させるとともに、大きな政治変動、経済変動、社会変動の引きがねとなっている。たとえば1855年に起きた安政地震は、その後の徳川幕府の総合的な復興対策の失敗と、ペリーの浦賀来航という外圧とも重なり幕府倒壊の契機となった(注1)。さらに関東大震災(1923年)は、第一次大戦後の不況とあいまって社会、政治、経済不安を煽った。なかでも朝鮮人大虐殺、社会主義運動の取り締まり、戒厳令による言論、表現の自由に対する弾圧などの一連の諸事件は、その後の治安維持法や1929年の大恐慌という経済混乱のなかで太平洋戦争へ突入するという日本の動向に重大な影響を与えた。

 また戦前の軍国主義から戦後の平和と国民主権の憲法体制への転換は、戦災と広島・長崎被爆などの大災害という幾多の苦難を経て得られたものである。今世紀最大の世界史的出来事の一つであるオバマ米国大統領の誕生も、2005年8月のハリケーン・カトリーナ災害とそれに対するブッシュ政権の失政が大きく影響している。なぜならハリケーン被害は、自然災害というより人災であったからだ。ブッシュ政権は、テロ対策とイラク戦争を重視したため、連邦政府の危機管理がおろそかとなり、国内の緊急事態への対応を遅らせ被害を拡大させた。そのためブッシュ政権の支持率が急速に低下し、世論はオバマ大統領誕生へと傾いたのであった(注2)。

 本稿で問題とする東日本大震災は、明治以降のわが国の近代化過程、特に戦後日本の東京一極集中による高度経済成長を下支えした東北地域の矛盾を顕在化させた。この地域は、首都圏の経済活動に必要な電力、食料、労働力、そして輸出産業である自動車や電機などの部品、素材などを提供してきた。だがそれは、危険な原子力発電と、公共事業や原発交付金、原発関連企業に依存する地域体質を生み出し、人口減少や高齢化などの過疎問題をもたらした。その意味で、東日本大震災は、戦後日本の中央集権的官僚機構と東京一極集中の国土・地域政策、産業政策、エネルギー・原子力政策を根本的に問い直す機会を提起した。と同時に大型施設・設備と生産・エネルギーの広域的分業システム、そして大量生産・流通・消費・廃棄システムによって立つ文明と生活の質そのものの転換を迫るものである。なによりも、相当の確率で予測される、首都直下型地震や東海、東南海、南海地震による津波、原発被害を防ぐためにも転換は必須である。