しかし、ヤクルトは海外でも日本国内と同じ商品を導入し、販売網も基本的に自社で築き上げながら海外市場を開拓してきました。どうしてそんなことができたのか、同社の歴史を振り返りながら分析してみます。

独特の販売手法で、国内国外の市場を
開拓してきたヤクルト

 ヤクルトの創業者、代田稔氏がヤクルトを開発し、販売を始めたのは戦前の1935年です。1963年には独自の販売システムである“ヤクルトレディ”を導入。当時の日本は戦後の混乱から復興し、高度経済成長に向かう時期で、まさに現在の新興国とも重なる時代背景です。ヤクルトレディによる販売システムは現在も当社の販売網の中核をなしており、今も日本国内だけで約4万人がヤクルトレディとして活動しています。

 海外進出の歴史も古く、1964年には早くも初の海外事業所として台湾で営業を開始。その後1980年代初頭までにブラジル、香港、タイ、韓国、フィリピン、シンガポール、メキシコなどの各国に順次進出していきました。この時代に日本企業の海外進出といえば、一般的にアメリカやヨーロッパへの進出を指すものでした。しかしヤクルトは海外進出を今でいう“新興国”から始め、アメリカやヨーロッパに進出したのは意外にも1990年代になってからです。これは市場規模が大きい一方で、現地メーカーが強固なブランド力や流通網で市場を支配している欧米よりも、勢力が固まっていない中南米やアジアに活路を見出そうという意図があったと思われます。

 進出先の選択だけでなく販売方法も独特です。飲料のような消費者向けの消費財は、地元のスーパーへの大量納入や大規模な広告宣伝をするのが一般的ですが、ヤクルトは日本国内と同様にヤクルトレディによる地道な訪問販売の手法を導入しました。これは、ヤクルトの商品の効能を消費者に丁寧に伝えるためです。海外のヤクルトレディは日本とほぼ同じ約4万人。彼女たちが、日本でもおなじみの小さな容器のヤクルトを1個1個販売しています。