夏の甲子園を目指して球児たちが戦う高校野球地方大会の季節になった。

 最も早い6月18日に開幕した沖縄大会は、すでに準々決勝が終了。17日には代表第一号が決まる。出場校が少ない県は開催が遅くなるが、16日には47都道府県すべてで大会が開幕。その中には東日本大震災の被災地、福島、岩手も含まれる(宮城はすでに開催中)。

 今年の高校野球は、やはり大震災を抜きにしては語れないだろう。被災地の高校は震災後、野球をやれる状況ではなくなった。津波で家や家族を失った野球部員もいる。野球用具一式を失った者もいる。また、転校せざるを得なくなった者もいる。被害をまぬがれた部員にしても野球をする心境にはなれなかったにちがいない。

 ただ、彼らの気持ちをもう一度、野球に引き戻すさまざまな救済策や支援があった。

高野連や高校野球ファンが
被災した球児にさまざまな支援

 高野連は被災地の学校や選手に対する特例措置を設けた。まず選手登録。選手が転校する場合は引き抜き防止のため、転入学日から1年が経過しなければ登録が認められなかったが、被災によって転校をした選手は即、登録できることになった。次に連合チームの大会参加。連合チームは学校の統廃合や廃校を控えた場合に限られていたが、今回は被災で部員が減ったケースも参加が認められた。

 実際、この措置によりグラウンドに戻った選手は多いし、福島第一原発の避難地域
に位置し、転校などで部員が減った双葉翔陽、富岡、相馬農の3校は「相双連合」という連合チームで福島大会に参加することになった。

 支援では、被災校のOBや各地の高校野球ファンから野球用具などが贈られた。たとえば04年、05年大会を連覇した駒大苫小牧の元監督・香田誉士史氏(現・鶴見大学コーチ)が代表を務める「被災地に球音を取り戻す会」では被災地の高校野球部に野球用具の寄付をしようと呼びかけた。すると賛同の輪が広がり、全国各地の学校から用具が集まったという。被災地の岩手、宮城、福島のチームには、そうした全国からの後押しを受け、その善意を噛みしめながらプレーする選手が少なくないのだ。