第95代内閣総理大臣に野田佳彦が就任した。党内融和を最優先した党執行部人事を断行し、挙党態勢の構築を狙うが、党内では早くも不満が燻り、復興、円高対策、財政再建と難題が山積。内憂外患での船出となる野田政権は、本格政権へと脱皮することができるか。(文/政治コラムニスト、後藤謙次)
「雪崩現象が起きましたね」。8月29日午後、民主党代表選を逆転で制した瞬間、野田佳彦に側近が耳元でささやいた。うなずく野田はすでに首相の顔になっていた。
松下政経塾出身で落選経験もある庶民派の苦労人。「駅前演説」で県議から衆院議員に駒を進めた。おやじギャグを連発するなど好感度も良好だ。だが、野田がなぜ当選わずか5回でめぼしい後ろ楯もなく、党内少数グループから首相になれたかの説明にはならない。
野田の「出世すごろく」の第一歩は、野党民主党のネクストキャビネットで「財務大臣」を務めたことにあった。このときの指南役が旧大蔵省出身の藤井裕久。藤井は鳩山由紀夫内閣の財務相に就任した際、迷うことなく野田を副大臣に指名した。
その延長線上に菅直人内閣での財務相への昇格就任があった。野田の政治家としての背骨をつくり上げたのはまさしく財務省といっていい。政治家野田を語るには「財務省育ち」がキーワードなのである。
財務事務次官の勝栄二郎は、官房長時代から野田を各方面にアピールしてきた。時に「やり過ぎ」の声も出るほど野田の力量を高く評価してきた。野田が民主党の新代表に選出されると、財務省幹部は快哉を叫んだ。
「歴代財務大臣の中でも傑出した存在だ。財政経済の理解力があり、説得力があって吸収力がある。そしてユーモアもある」(局長の1人)