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相川俊英の地方自治“腰砕け”通信記

天明の大飢饉、戊辰戦争後の東北に学ぶ
一時移住政策という復興の足がかり

相川俊英 [ジャーナリスト]
【第33回】 2011年9月15日
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 「イチゴ栽培をやりたくてこちらにきたので、戸惑いや不安などありません。伊達の皆さんに大変よくしていただいていますし」

 こう語るのは、宮城県亘理町のイチゴ農家、佐藤長市さん。津波で自宅を流された東日本大震災の被災者のひとりである。住宅ローンと作付け不能となったイチゴ畑だけが残った佐藤さんは、暫く、呆然自失の日を送った。だが、高校に通う子供がいて、仮設住宅にこもってはいられなかった。稼がねばならない。イチゴ栽培の再開は塩害のため、そのメドすらたたなかった。アルバイトも見つからない。佐藤さんは意を決し、外へ踏み出すことにした。仲間と共に北海道伊達市に渡り、新天地で再起を図ることを決意したのである。

 北海道伊達市は、明治初期に仙台藩一門の亘理伊達家の当主や家臣らが集団移住し、開墾した土地。仙台藩は戊辰戦争に敗れ、明治新政府により62万石から28万石に減封された。亘理領主だった伊達邦成も知行を大幅削減され、家臣を養うことが不可能となった。伊達邦成は当時、20代後半の青年だった。彼は自ら家臣団を率いて北海道に移住することを決意した。1870年に第1陣250人が、北海道有珠郡に足を踏み入れた。北海道伊達市の始まりである。

 北海道伊達市は遠隔地ながら被災地の亘理町や山元町、福島県新地町などと親戚関係にある。実際、姉妹都市として交流を重ねており、今回の大震災でも伊達市の菊谷秀吉市長や市職員らはいち早く、支援に駆け付けた。

 そんな伊達市が亘理町のイチゴ農家を対象にした支援策を打ち出した。伊達市が農地や住居を無償で提供し、地域に適したイチゴ栽培の試験・研究や技術指導にあたってもらうというものだ。日当として最高で1万3500円を支払うという好条件である。被災地の農地復旧までの長期に及ぶ支援策で、いわば被災農家への一時的な移住の勧めである。

 伊達市内にイチゴ農家は1軒しかなく、一時移住した被災農家にノウハウを提供してもらうことで、地域農業を活性化させたいとの狙いもあった。イチゴが品薄となる夏場に、北海道の涼しさを活用しイチゴを大量出荷できるようになれば、ブランド化が図れるのではという思いもある。宮城県亘理町などと北海道伊達市のイチゴ農家が連携することで、お互いにメリットを得ようという戦略だ。

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相川俊英 [ジャーナリスト]

1956年群馬県生まれ。放送記者を経て、1992年にフリージャーナリストに。地方自治体の取材で全国を歩き回る。97年から『週刊ダイヤモンド』委嘱記者となり、99年からテレビの報道番組『サンデープロジェクト』の特集担当レポーター。主な著書に『長野オリンピック騒動記』など。


相川俊英の地方自治“腰砕け”通信記

国政の混乱が極まるなか、事態打開の切り札として期待される「地方分権」。だが、肝心の地方自治の最前線は、ボイコット市長や勘違い知事の暴走、貴族化する議員など、お寒いエピソードのオンパレードだ。これでは地方発日本再生も夢のまた夢。ベテラン・ジャーナリストが警鐘を鳴らす!

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