湾岸戦争では日本人人質の救出も!
プロレス外交の功績の数々

 若い人からすると、「元気ですかぁ!」と叫んでビンタをするおじさんのイメージが強いだろうが、実は猪木氏はプロレスラーとして世界的名声がある。それを生かして、普通の政治家がパイプをつくることさえできぬ国に乗り込んで「対話」をするという、「闘魂外交」をおこなってきた実績があるのだ。

 たとえば、昨年亡くなったキューバのフィデル・カストロ前議長と猪木氏は、1990年に会談をして以来交流を続けた。最初の会談時は、西側諸国の政治家と会うのは8年ぶりということで世界的にも大きなニュースとなった。カストロ氏との会談前から、猪木は「モハメド・アリと戦った男」として、キューバ国内では名声を得ていた。

 昭和天皇が崩御した際、キューバは1週間、半旗を掲げ続けたという。日本は、キューバにとって敵対するアメリカの同盟国。かつ、遠い異国であるにもかかわらず、ここまで親しみを持ってくれたのは、政治家・アントニオ猪木の影響も少なからずあったことは言うでもない。

 湾岸戦争時は、イラクで日本人46人が人質となったのだが、その際にサダム・フセイン大統領(当時)と交渉をして、彼らを全員救出したのは外務省でも時の政府でもなく、猪木氏だった。

 なぜそんなことができたのかというと、猪木氏がイスラム世界では、日本人が想像している以上に人気があるからだ。

 イスラムの英雄、モハメド・アリと引き分けたということはもちろん、アクラム・ペールワンというパキスタンの国民的人気を誇る格闘家を「セメントマッチ」で倒したことも大きい。これをきっかけに猪木氏はパキスタン政府に祝福され、後に「猪木記念日」までつくられたのだ。