いま、「美術史」に注目が集まっている――。社会がグローバル化する中、世界のエリートたちが当然のように身につけている教養に、ようやく日本でも目が向き始めたのだ。10月5日に発売されたばかりの新刊『世界のビジネスエリートが身につける教養「西洋美術史」』においても、グローバルに活躍する企業ユニ・チャーム株式会社の社長高原豪久氏が「美術史を知らずして、世界とは戦えない」とコメントを寄せている。そこで、本書の著者・木村泰司氏に知っておきたい「美術」に関する教養を紹介してもらう。今回は、宗教改革がきっかけで生まれた「バロック絵画」について解説。

見るものの感情を強く揺さぶる宗教美術「バロック絵画」。この宗教美術は、どのようにして生まれたのか? その誕生の裏側を読み解く(同作品は、カラバッジョ作のバロック絵画の名画「聖フランチェスコの法悦」)

「プロテスタント」の誕生

 西洋美術史は、キリスト教を抜きに語ることはできません。17世紀バロック芸術発展の背景にも、当時のヨーロッパで起こった宗教戦争が影響しました。カトリックとプロテスタントの争いです。

 この争いは、カトリック教会の象徴とも言えるサン・ピエトロ大聖堂の改築工事が発端となりました。当時のローマ教皇であったレオ10世(在位:1513~21年)は、その莫大な改築資金を調達するために、贖宥状(免罪符)の販売を進めます。

 しかし、この聖書に根拠のない贖宥状の販売は、カトリック教会に懐疑的になっていた北ヨーロッパの人々の心を離反させることになります。そして1517年、マルティン・ルターがカトリック教会を批判し、宗教改革の狼煙をあげることになるのです。これが、聖書を絶対的権威とする福音主義の「プロテスタント」誕生の瞬間でもありました。

 その後、この宗教改革は、イングランドにおいてヘンリー8世がローマ教皇庁から離反した英国国教会を作るなど、ヨーロッパ社会を二分する大騒動となります。そして、聖書にあるモーセの十戒に背くとして、宗教美術を否定するプロテスタントたちによる、カトリックの聖堂や修道院の宗教美術を破壊する聖像破壊運動(イコノクラスム)が起こるのです。

 この頃のカトリック教会の状況を振り返れば、こうした宗教改革が起こったのも当然だったと頷けます。当時のカトリックの上級聖職者には、まるで王侯のように権力と財力が集中していたからです。

 たとえば、ルネサンス時代からバロック時代にかけて、歴代のローマ教皇の多くはイタリアの名家出身であり、現代人が想像するローマ教皇のイメージとはかけ離れた存在でした。そして、甥や庶子やその孫を枢機卿にするなどネポティズム(縁故主義)が横行していました。聖職者一族というよりも、日本の戦前までの大財閥や総理大臣を輩出したような名門政治家一族をイメージするとわかりやすいでしょう。世襲制が多い政治家に不信感を抱くように、多くの人がこうした状況のカトリック教会、そして聖職者たちに期待をしなくなっていきました。

 実際に多くの聖職者たちは堕落した生活を送っており、そうした状況に対して、真面目な北ヨーロッパの商人階級の間で「聖書にこそ権威がある」とするプロテスタンティズムが浸透しても不思議ではなかったのです。