そうした状況下において、いかに平衡を保つかが問われているのです。ドイツの実存主義者であるカール・ヤスパース曰く、「人間は屋根の上に立つ存在」で、油断すればすぐに足を滑らせて転落しかねません。

 もっと極端に言えば、綱渡りのようなもの。1本の綱の上を歩くという危機に満ちた作業こそ、人間が生きていくということです。こうした平衡術は、凡庸な学者が考えた理屈から生み出されるものではありません。歴史という紆余曲折の経験の中から、曲芸師的に対処するための知恵のような感覚、あるいは言葉遣いや振る舞いを習得していくのです。

 常に状況は新しいわけだから、それは処方箋ではあり得ません。対処法を示唆してくれる存在として、伝統というものがある。だから、悪習と良習を区別しながらも、伝統を壊してはならないと考えるのが保守主義です。

安倍首相は保守ではなかった
社会の方向性が見えていない

 こうした定義に照らし合わせると、安倍首相は最初から保守ではなかったわけです。実は第一次安倍政権が退陣した後、世間から総バッシングを受ける中で、僕だけは彼に手を差し伸べた。1年間にわたって毎月1回のペースで「保守とは何か?」というテーマの勉強会を開催して励ましたのです。

 ただ、第二次安倍政権が発足してからは一度だけ食事をともにしただけで、意識的に距離を置くようにしています。だって、政治になんて関わりたくないし、もともと安倍さんには特に悪意を抱いていない一方で、特別に期待もしていないから。

 ただ、アベノミクスにおいて、安倍政権が国土強靱化をはじめとするインフラ投資に躍起になっていることは嘆かわしい。あまりにも近視眼的で、ただ橋を何本つくり替えるとかいった施策を進めているだけに過ぎないからです。国のインフラ(下部構造)を整備するに当たっては、まずはスープラ(上部構造=日本社会の今後の方向性)についてしっかりと議論することが大前提。しかし、それがまったく欠如しているのが実情です。

 これで保守と言えるのでしょうか。